愛され方(ボディー・ブロー):家族の因果

cocorotkn 2007年7月10日 by cocorotkn

カウンセリングしている時や、

自分自身を気づく講座をしている時に、こんな言葉を聴くときがあります。

「私は両親に充分に愛されていた。」と。

 

しかし、充分に愛情を貰っていたら、

自分自身を見失い、

悩み苦しむ事はないはずです。

おかしい事です。
 

 

その人の生育歴をじっくり聴いていくと、そのからくりが見えてきます。

例えば、

「私がこんな事をしたとき、両親は笑顔で褒めてくれました。」

「両親が自営をしていたので、普段はおばぁチャンの所で遊んでいました。

すると両親は、ありがと、偉いね。と笑顔で褒めてくれました。」

と、言う話しを聴きます。

しかしこれって、子供にとって嬉しい事でしょうか?

 

結構、

「親が喜んでいる」姿を

「私は愛されている。」

置き換えている場合が多いのです。

 

「親が喜んでいる姿=私は愛されている。」

「親が怒っている、悲しんでいる姿=私は愛されていない。」と、刷り込まれています。

子供は知らないうちに、親に愛されるために親の喜ぶ事をしていきます。

 

先程の生徒さんに

「あなたが褒めて欲しい時に、

両親は褒めてくれましたか、

笑顔でしたか?」と、問いかけると、

「なかった!」と寂しげに答えます。

 

本人は充分愛情を貰っているつもりでも、

現実は愛情を貰っていない事が多いです。

愛情を貰っているつもりだけに厄介です!

おかげで本人は愛情欠乏症とは思っていません。

気づいていない分だけ、求めようとしません。

逆に求める事に「罪悪感=親への裏切り」を感じる人もいます。

 

この方法は、ボクシングで言う「ボディーブロー」です。

ボディーを攻めて、相手に気づかせないようにダメージを与えます。

気づいたときにはもう手遅れです。

なまじ、ストレートパンチで、

しっかり愛情欠乏症のダメージを与えられる方が、

はっきり自覚できます。

この様な人は、この方法が子供に愛情を与える方法と信じていますので、

同じ育て方をします。

「私は愛されている、だからこの方法で子供を愛する。」

 

知らないうちに「因果」が繰り返されます。

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