身近なカウンセリング

ルール

cocorotkn 2010年3月25日 by cocorotkn

今朝のニュースで、

バンクーバー冬季オリンピックのスノーボード代表の

「国母選手の腰パン」で

「規範を順守する旨の誓約書へのサインを義務付けるという。

行動規範は『日本人、若者の模範となり、スキースポーツの向上・発展に努力する』との精神で、

公の場での服装や化粧などにも言及。

茶髪、ピアスなどは原則禁止となる。」

と言う記事が出ていました。

 

何か変な気がします。

ここまで「規則」で縛らなければならないかと?

今時、「茶髪・ピアス」を禁止する時代でしょうか?

確かに競技中は「ケガ」の観点からも必要ですが、

それ以外のところでは常識の範囲内で、OKではないでしょうか?

こんな「規範」を作るよりも、

周りの監督、

コーチ、

役員が注意、指導すれば済む事ではないでしょうか?

それを「誓約書に同意サインしなければ強化選手から外す」等とは

行き過ぎではないでしょうか?

 

 

「国母選手」の件でも、

周りの選手、コーチ、監督、役員が指導すれば問題など起きなったはずです。

日本代表団の内訳は選手94名、役員、監督、コーチ等111名。

役員たちは何をしに行ったのでしょうか?

それもビジネスクラスで!

因みに選手はエコノミーらしいですよ!なんか変!
 

 

しかしながら「ルール」を破る者が居るから、

さらに厳しい「ルール」が必要になります。

私たちは基本「性善説」で対応しています。

信頼関係から、相手を思いやり、裏切らずにルールを守ります。

「ルール」を破れば破るだけ、

さらにキツイ「ルール」が産まれ、

自分で自分の首を締めます。
 

 

私の学校でも約10年前に苦い経験をしました。
 

当時、40歳後半の男性卒業生が、自分の学校を作りました。

TKNのカリキュラムを使い、

そして学校案内、

資料請求まで

学校名を変えて丸々コピーしていました。
 

 

全く無断で!

そして、同期卒業生に声をかけて

「TKNとは別で、自分たちで勉強会を開こう。」と声を掛け、

誘って行きました。

卒業後も勉強したいと思っていた卒業生の内、数人が参加しました。

しかしながら、

その目的は利用して、学校を運営しようとしていたようです。
  

カリキュラムを使い講座を真似て行っても、

15年目の実績と、

一年ほど学んだ程度の力とでは、

深みが違います。

本当の「相手を受け止める」の意味が違います。
 

 

結果は、失敗です。

それに伴い、無断(裏切り)で行った結果、

学校に来ることもできません。

そして声を掛けた卒業生たちも、

後ろめたさから来れなくなってしまいました。
 

 

少しでも相談して貰えれれば、

成功できるように色々な事を伝える事が出来ました。

表からは見えないノウハウも伝える事が出来

協力関係も構築できたのに残念でした。

男性ですから、この協力関係が嫌だったかもしれません!
 

 

この世界は一度始めると、

「こころの居場所」と思ってきた人が居る限り、

辞める事は出来ません、

その人を裏切ることになります。

そして、TKNの卒業生として(名前を隠しても)

自分の都合で中途半端で辞めてしまったのですから、

卒業生たちの信用まで傷つけてしまった事になります。
 

 

この事件以降、

頑張っている卒業生たちにも迷惑を掛ける事になりますので、

卒業生の「会員資格に有効期限」を設ける事にし、

2年間の更新制に切り替えました。

卒業生には無駄な負担を掛ける事になりました。
 

 

「ルール」を破るから、

「ルール」を創る事になる。

みんなが、

思いやりを持ち、

自己責任を持って行動すると

逆に「ルール」は必要が無くなってきます。
 

 

裏切れば、

信用を失くし居場所がなくなります。
 

 

どちらが良いでしょうかね!

インサイド・アウト

cocorotkn 2010年3月16日 by cocorotkn

日曜日には気づかなかったのですが、

今朝駅に向かう道すがら、

道端には「菫」の華が、

庭先の「紅葉」には「芽吹き」が、

桜には「蕾」が、ありました。
 

一昨日までは、

堅く枝だけとしか見えなかったのですが、

昨日の暖かさで一気に「芽吹いて」来たようです。
 
 

 

毎年のように驚かされます。

ただ堅い枝にしか見えないのに、

その中には「新しい芽吹き」がしっかり育まれている事に!

ちなみに、落葉樹の芽吹きは「紅葉」です。

赤い芽吹きで始まり、

新緑から、

深緑になり、

紅葉します。

「赤」で始まり「赤」で終わる!

 

まさしく「インサイド・アウト」

 

インサイド:内に秘めた力を、

アウトサイド:外に向ける。

内にある自分らしさを、

外にOpenして

自分の「個性」を出す。

 

内に秘めている色々な

「私」を信じて、

「感情」、

「思考」、

「可能性」、

「夢」、

「希望」、

を外に表現してみませんか!
 

 

普段は「アウトサイド・イン」です。

外圧に影響され、

自分らしさを殺し、

閉じ込めて居ませんか?

 

どんどん「自分らしさ」が

小さく縮んで行っていませんか?

 

頑なに「鎧」を身に着け外圧から自分を守り、

また「鎧」ゆえに自分らしさを、出せなくなっていませんか?

 

「インサイド・アウト」これが「自然の摂理」です。
 

春がもうそこまで来ています。

冬の時代は間もなく終わります。

冬の間じっと耐えながらも、

自分自身しっかり貯めたエネルギーを、

表に表現しませんか?

 

「春一番」の嵐と共に、

自分らしい

「芽吹き」をスタートしませんか?

 

菫.jpg紅葉.jpg

 

盗電:自己中

cocorotkn 2010年3月9日 by cocorotkn

日曜日に学校からの帰宅時に、

「近鉄:大阪難波駅」のホームで

「盗電」の現場を初めて見ました。

 

ニュース等で話は聞いていましたが、現実に見るとは思っていませんでした。

それも、駅のホームで堂々と!

ホームに座り込んで、

盗電しながら携帯を操作していました。

あまりにも堂々としているので、みんな気が付かないようでした。

 

今、流行の「鉄男」風の大の大人でした。

当の本人は何も気にならないのでしょうか?

自分が行っている行為が「違反:犯罪行為」で在り、

他の人に迷惑をかけているという事を!

自分さえ良ければ、何をしても良いのでしょうか?

あまりにも「自己中」になり過ぎて居ないかな?と思います。

 

携帯のバッテリーが無くなっても、

今ではコンビニでも駅の売店で、

「簡易のバッテリー」が売っています、

困る事は無いとは思うのですが?

 

充電コードを持ち歩いているので、

あちこちで行って居るのでしょうね?

本人にとっては、「問題ない」行為なのでしょうね。

 

これも、神経症の特徴「自己中」が顔を出しています。

物事を自分中心に考え、周りの事は気にしない。

これでは対人関係を本人が気付かない間に、壊してしまいます。

 

本当に身近な所に「神経症予備軍」が一杯居るようですね!

 

その朝の電車の中で、先頭車両に乗っていたのですが

運転席から運転士とその指導員の声が、

車内に大きな声で聞こえてきました。

 

指導員:「今の所を、見て確認をしていたか?操作が遅れて行われている!」
 

運転士:「あっ、確かに見ていませんでした。良くない事です!」
 

 

このような会話が終着駅に着くまで続いていました。

安全運転の指導をするのは良いのですが、

乗客に聴こえるような大きな声で話すのは如何なものか?

また、そのミスを受け答えする運転士も如何なものか?
 

乗っているこちらとすれば、

「この電車の運転は大丈夫?」を言う不安が湧いてきます。

指導も大切ですが、

乗客の乗っていない処で、指導と練習をして貰えないものでしょうかね?

ここにも「自己中」が顔を出しています。

 

これも、「盗電男」と「五十歩百歩」のような気がします。

朝青龍:善と悪

cocorotkn 2010年2月5日 by cocorotkn

昨日、横綱・朝青龍が引退しました。

 

賛否は色々あるかとは思います。

実力は誰もが認める処でしょうが、

行動に問題が有り過ぎた事が

今回の結果になってしまったようです。

 

 

何故、朝青龍のブレーンがしっかり出来なかったのか?

日本で言う中学を卒業して即、

日本に来て右も左も分からず、高校に入学しそこから相撲界へ!
 

日本の風習が分からないのが当たり前で育ち、

相撲界の仕来たりも理解する前に、

横綱に出世したら、

ブレーキがうまく効かなくてもおかしくありません。

 

そこを周りの大人たち(ここでは親方衆ですか?)が

色々な面でサポートしながら、育てていくことが当たり前なのに、

肝心なことをほったらかしにした結果、起きた面も多々あると思います。

 

ある意味で、

相撲界の因習、

大人たちのエゴの犠牲者であるかもしtれません。

でも、朝青龍自身が責任ある行動をとることは原則ですが。
 

今までの報道等を観ていると、

常に彼を悪役(ヒール)にする事により、

相撲人気を作っていた面もあるかと思います。
 

  特に外人力士を!

 

 千代の富士の時は小錦

 若乃花・貴乃花の時は曙

 白鵬には朝青龍(これは外人力士同士ですが)

 

片方を「ヒール」にする事により、

相手を「正義」に仕立ててきた歴史!

今回も、

「ヒールの朝青龍」に対し

「優等生の白鵬」を作り上げている感じがします。

 

「ヒール」がいて居るお陰の「優等生」

もし「ヒール」が居なければ

「優等生」は存在せず、

「優等生」は

「ただの人」になってしまいます。

 

もしかして「白鵬」にも言える事かもしれません。

それならば次の犠牲者は彼かもしれません。

彼はさらなる「優等生」を演じ続けなければなりません。

比較対象される「ヒール」が居なければ、

みんなに「認知」して貰うためには、

今まで以上の「努力」を「精進」を続けなければなりません。

 

これは、かなりの苦しみです!

自分らしく生きる事を

「善」としない生き方ですから。

自分に嘘をつき続ける人生って、

とても辛い人生です。

 

彼が、この「プレッシャー」に潰されない事を願います。
 

皆さんも、「ヒール:悪」と「優等生」という関係で、

人を観ていませんか?

 

そして、「優等生」を演じて、

自分自身を見失っていませんか?
 

Wうつ:不安と隣り合わせ

cocorotkn 2010年1月21日 by cocorotkn

萩原流行さんの「Wうつ」を読みました。

 

テレビ画面で観ている萩原さんは、

「二枚目でありながら何処かひょうきんな所があり、悪役もこなせる」

役者さんだと、イメージしていました。

私にとっても好きな役者さんの一人でもあります。

 

しかし、

その萩原さんが「うつ」であるという事を知り

「えっ」という驚きがありました。

テレビから見受けられる萩原さんとは、

とても、そう思えないイメージでした。

ただ、そう言われれば、

ひょうきんな事をしている時に、

何か「表情」に影が、というのは気にはなっていました。

 

「ナルシスト」「ストイック」な役をしている時は、

かなり「神経質」な面を感じられましたが、

「役柄」と思っていました。

 

また、ご夫婦での「Wうつ」にも、驚かされました。

本当に身近な所に忍び寄ってきている現代です。

 

 「Wうつ」の本の中で萩原さんが

「年末、年始が怖い!

年明けから仕事が来るのだろうか!という不安が襲ってくる!」

「休むことが怖い!次の仕事が来るのか?」

「仕事をやり続けるほうが安心できる!」

 

この部分を読んで「ドキッ」としました。
 

私にも、少し当てはまるところがあるからです。
 

 

毎月「カウンセラー養成講座」を開催していますが、

「第1回目の体験講座に予約が入るのだろうか?」

「今月は生徒さんが入学してもらえたが、来月は入学してもらえるのだろうか?」
 

正直なところ、毎月予約が入り、そして入学もしてもらっていますので、

これは、取り越し苦労だとは分かってはいるのですが、
 

やはり、毎月体験講座が近づくと不安になります。
 

こころの中では、

「毎月生徒さんが入学して貰えて、当たり前。」という

「おごり」を持ってはいけない!と

自分自身に「戒め」として言い聞かしているのですが!
 

これも、言い訳ですね!
 

 

おかげで、萩原さんの気持ちがすごく分かる気がしました!
 

 

今月の体験講座も24日から始まります。
 

また、見えない不安との戦いを、少し意識しながら!
 

しかしながら、この不安は消える事は無いと思います。

このように感じて、

不安になっているのも「私」なのですから!
 

 

大いに、

不安と付き合って、

楽しみます!
 

2010年 あけましておめでとうございます。変革の時

cocorotkn 2010年1月1日 by cocorotkn

あけましておめでとうございます。

新しい年の始まり、新たなるスタートを切れる時がきました。
 

昨年は、変化の年でした。

アメリカでは、黒人初のオバマ大統領が「チェンジ」を訴えて誕生しました。

日本でも、長く続いた自民党政権に代わって民主党政権が誕生しました。
 

みんなが、今までの状況では駄目なんだ、

新しく変わらなければ駄目なんだという思いから、

「チェンジ」を望み、選択をしたのです。

これからは、世の中のいろいろな事が変わっていくチャンスが訪れるでしょう!

考え方も、価値観も、環境も変化をするでしょう!
 

 

しかし、

一番変わらなければならないのは「自分自身」です。

周りの環境は、どんどん変わっていきます。

でも、自分自身が変わろうとしない限り、

誰もあなたを変えてくれる事はありません。
 

自分が変わらない限り!
 

 

自分の人生を宿された、

さだめられた事しかできない人生

「宿命」として生きるか!

 

「運命」として、

環境に左右されて振り回され、

周りの性にして生きるか!

 

 

それとも、

自分自身で道を切り開き、

自己責任を取り、

自分らしく生きることを目指す

「立命」として生きるか!

 

「チェンジ」の流れが大きく動いている時こそ、

「チャンス」のタイミングです。

 

誰もあなたの事を変える事はありません。

「誰も私を見てくれな。

わかってくれない。

助けてくれない。

みんなが悪い。」と嘆いても何も変わりません!

政治も、会社も、世の中の誰も、あなたを変える事はありません。
 

 

あなた自身が変わる事が大切です。
 

 

自分自身が「チェンジ」することにより、

手に入る「幸せ、自分らしさ」を今年こそ手に入れませんか!
 

 

「Yes I Can Do it!!」

 

「私には、出来る!」

蓮池 薫さんの素敵文

cocorotkn 2009年12月27日 by cocorotkn

学校への行き帰りでよく本を読むのですが、

心理学の本ばかりではなく時には

話題の本や、

まったくジャンルの違った本を読む事があります。

「1Q84」とか「ハリーポッター」とかも読みますよ。

 

つい最近は、蓮池薫さんの「半島へ、ふたたび」を読みました。

拉致被害者である蓮池さんが、

ふたたび半島へ渡った(韓国側です)時に感じた、

いろいろな思いを書いた本です。

内容はソフトに表現されていますが、

時折拉致された思いが書き込まれています。

拉致された思い、

また、帰国が出来ない悲しさ、

そこで生きていかなければならない思いを、

静かに描かれていました。

 

この本の中の最後の部分で、

蓮池さんが講演で中学や高校へ行かれた時、

みんなに伝える事があるそうです。

 

「100%の自信がうまれるまで待っていたら、チャレンジなんてできない。

というより、

100%の確率なら、

それはすでにチャレンジではない。

最初は50%でいい。

まずは始めてみよう、

後はやりながら学んでいけばいい。

必要にかられた学習、

実践の中での学習こそ、

何倍も身に付く。

失敗したら、

失敗を通してしか、学べないものを学びとればいい。」

 

この文章を、女房に伝えると次の言葉が返ってきました。

 「ええ言葉やなー

  子供の時に、親からこの言葉を貰っていたら、

  あたしの人生変わっていたかもしれへんなー。」
 

 

その通りだと私も思いました。
 

この蓮池さんの言葉を、

みんなに伝えようと思います。

「自分らしく幸せに生きたいならば、

 自分自身が変わることが大切です。

 相手が変わることは無いからです。

 自分自身が変わるのは、とても怖いことです。勇気がいる事です。

 時には失敗もあるでしょ!

 しかし、その失敗から得る事のできる、素晴らしい経験を大切にして欲しい。

 成功から学ぶことよりも、失敗から学ぶこ事がどれ程、貴重な体験か!

 絶対の正解などありません。

 もし正解があるのならば、それは他人が出した答えです。

 自分自身の答えではありません。

 失敗を恐れずに、先ず一歩前に進みましょ」

 

 人生の成長、そのものです。

箱モノ:心の中

cocorotkn 2009年12月18日 by cocorotkn

今日は、強烈に「寒い」です。

地元の山は、雪景色でした。どんな田舎! 

 

先週、下の娘が「キッザニア甲子園」に行ってきました。

もう行く2週間前頃からは興奮状態でした。

案の定、帰って来てからは「マシンガントーク」です。

その日やってきた事を、全部説明してきました。

余程、楽しかったのでしょ!

確かに、いろいろな職業体験が出来、

それによって稼ぐ事の出来たお金を銀行に預け入れ、

そして本人のキャッシュカードが作れ、

キッザニアで使えるお金をATMから引き出したり、

そのお金で色々なショッピングが出来るようです。

「キャビンアテンダント」

「お医者さん」

それも外科医になって手術体験、

など一杯体験できたようです。

その姿の写真もあり

写っている姿はそれなりに「様に」なっていました。

顔の表情も生き生きしていて、

楽しかった様子が伺えます。

 

「私のしごと館」とは大違いのようです。

色々な職業を学べるようですが、

その職業を紹介するのに、

マネキンにその格好をさせているだけ!

その一体のマネキンモデルが

100万、200万円掛かっていては困ったものです。

職業体験といっても、

これといってと、いうモノもないようでは!

本当に「箱モノ」と言われても仕方ないかもしれません。

 

まさに「仏つくって魂入れず」の状態です。

 

いくら立派なモノを作っても、

そこに目的、方向性が無いと意味がありません。

意図はしっかりしていたでしょうが、

それを発揮させるノウハウが不足していたのでしょうか?

 

私たちの世界にも言えます。

カウンセリングの勉強は大切です。

しかし「理論」として学んでも意味がありません。

その学んだことを、実生活に活かせてこそ意味があります。

「マニュアル」「データ」「理論」に頼りすぎ、

「真実のこころの叫び」を

聴きそびれては意味がありません。

 

学んだ知識を、実践の中で使いこなせてこそ意味があります。
 

自分自身の「こころの叫び」を聴くために、
 

そして、

相手の「こころの叫び」を聴けるようになるためにも!
 

知識による「箱」だけを作らず、

その「箱」の中に

「魂」を注いで

「血の通ったカウンセラー」を目指してください!

割り合い

cocorotkn 2009年12月1日 by cocorotkn

今下の娘は、算数の時間で「割り合い」を習う時期になりました。

どうもこれが苦手なようで、意味が理解できないようです。

上の娘も苦手なようで、いまだに苦労しているようです。

 

簡単に言えば次のような例です。

「100g200円の肉を、250グラム買いました。支払いはいくらでしょう?」と、言うような問題です。

 
1グラム当たりの単価を計算すれば、

すぐに答えは出るのですが、

どうもピンと来なくて、計算がメチャクチャになってしまうようです。

そういえば、私もこの頃はよく勘違いをしていた気がします。

ただ、答えが大きくなるか、

小さくなるかは理解できてたと思うので、

そっちの答えになるように、

掛けたり、

割ったりしていたと思います。

 

なぜ、ピンと来ないのかなと思っていたら、

私たちが小さい頃、よくお使いをさせられました。

「肉屋さんへ行って、100グラム250円の肉を450グラム買ってきて。」

時には「100グラム250円の肉を、600円分だけ買ってきて」と言われ、

その結果肉の量が多いか少ないか、

支払いが多いか少ないかと、

生活の中で、この「割り合い」を体験していました。

 

しかしながら今の子供たちは、

お使いに行っても「スーパー」に行くために、

すべて「パック」になっていいます。

この感覚が体感できない状況です。

店員さんに話をしたり、

聞いたりする事の無い今では、

日常生活の中で、学ぶことが出来なくなって来ているのかもしれません?

 

昔は、何を買うにも店の人に注文をしない限り、

何も買うことはできません。

店の人と「やり取り」をして、

コミュニケーションを覚え、

簡単な駆け引きを学んだものです。(おまけを貰う事)
 

 

これこそが、生きていくための「総合学習」だと思います。
 

今の子供たちは、

店でコミュニケーションをせずに、

なんでも買い物ができます。

挨拶をしたり、

「ありがとう」と言う言葉が必要のない環境です。
 

 

ある意味で生活は便利になりましたが、

人と人とのふれあいが、どんどん無くなってきています。
 

 

なんか寂しい世の中ですね!

あたりまえ

cocorotkn 2009年11月24日 by cocorotkn

私たちは「あたりまえ」に慣れてしまい、

「ありがたさ」に対し、無関心になった気がします。

毎日、「生きていてあたりまえ」

「御飯がだべれて、あたりまえ」

「電車に、車に乗れてあたりまえ」

「好きな物が買えて、あたりまえ」

「好きな事をしてて当たり前」

「毎日、学校、会社に行けてあたりまえ」

「毎日、テレビが観れてあたりまえ」

「誰かが、私の為にしてくれてあたりまえ」

「私の犠牲になって、私が楽しくあればあたりまえ」いっぱいあります。

 

確かに、

日本は「平和」で貧富の差があれ多かれ少なかれ「幸せ」に生活が送れます。

でも、それは色々な人たち、

いろいろなものたちの努力、

犠牲の上に成り立って居るものが多くあります。
 

 

御飯がいつでもお腹一杯食べれる!

これも当たり前のことです。

好き嫌いをいくら言っても、

空腹にならずご飯が食べれます。

しかし、

その「あたりまえ」が何の問題なく手に入るのは、

いろんな人たち、ものたちの力添えがあればこそ、

成り立っている事です。

 

今、娘達もこの「あたりまえ」の中で育っています。

何にも、娘たちに「苦労」を味わせたくないので、

出来るだけ「望み、夢」を叶えられる様に、環境作りをしてきました。

時には、その事が娘たちを

「あたりまえ」の世界に浸らす事に成るのかと、思い悩む時があります。

何も「苦労を買って出ろ」と言いませんが、

「あたりまえ」では無い事に、もっと気づいて貰わなければならない気もします。

「世の中」も「あたりまえ」で通っているから、

余計に無頓着になるのでしょうか?

「平和ボケ」の一言で片づけれることではないと思います。

 

「あすかへ、そしてまだ見ぬ我が子へ」の一節を書き込みます

 

「あたりまえ」

 あたりまえ。

 

こんなすばらしいことを、

みんなはなぜよろこばないのでしょう。

あたりまえであることを。

お父さんがいる。お母さんがいる。

手が二本あって、足が二本ある。

行きたいところへ、自分で歩いて行ける。

手をのばせばなんでもとれる。

音がきこえてこえがでる。

こんなしあわせはあるでしょうか。

しかし、だれもそれをよろこばない。

あたりまえだと 笑ってすます。

食事がたべられる。

夜になったらちゃんと眠れ

そしてまた朝がくる。

空気をむねいっぱいにすえる。

笑える 泣ける

叫ぶこともできる。走りまわれる。

みんなあたりまえのこと。

こんな素晴らしいことをみんな決して喜ばない。

そのありがたさを知っているのは

 「それを失くしたひとたちだけ」

 

 「あたりまえ」に麻痺しないように、心に感じていきましょう!