身近なカウンセリング

BLACK SWAN:一卵性母子

cocorotkn 2011年6月7日 by cocorotkn

昨日、

映画「BLACK SWAN」を観てきました。
 

 

今回の「マスクワーク」のテーマと

似ている気がしていましたので、

とても興味がありました。
 

 

そして、みた結果は「Bingo」でした。
 

 

映画のストーリ自体は観る人によれば、

今一つと、いう風に思われるかもしれませんが、

「心理学」の観点から見れば、とても奥深いものでした。

 

「白鳥の湖」のプリマドンナを射止め、

「White Swan」を演ずるために不可欠な

「Black Swan」を如何に表現するか?
 

 

主人公「ニナ」が

「完璧」を目指す故に

「Black Swan」が表現できない。

 

お母さんの期待に応え、

失敗の無い完璧なプリマになる為に頑張るが、

常にトップにはなれない。

卒なくこなせるゆえに、

常に優等生で魅力が無い。

 

とても「良い子」です。

結果、

正反対の妖艶で悪の化身「Black Swan」が踊れません。

 

これが「ペルソナ」です。
 

 

ここから過酷な試練の中

「Black Swan」が産まれます。(内容は映画を観てください) 
 

 

「ニナ」の中には「Black Swan」が居ます。

映画の冒頭から姿を現していました。(地下鉄のシーンから!)

 

彼女の中にある無意識の世界。

「嫉妬、恐怖、恨み、不安、嫉み、妖艶、虚栄心 etc」が

目覚め始めていきます。

 

ライバルを蹴落とし、

演出家を惹きつけ、

プリマを勝ち取り、

新たなるライバル・リリーの出現により、

こころの中に「封印」してきた

「Black Swan」が目覚めて、

成長していきます。

 

これこそが「シャドー」です。

 

「ペルソナ」とは真逆の

「シャドー」が叫びます!

 

抑え込めば抑え込むほど、凝縮され

「シャドー」が現れた時は、激しく燃え上がります。
 

 

「Black Swan」自身が彼女の化身なのです。

 

特に、

母親からの「トラウマ」により封印が強くなり、

激しく燃え上がります。

 

母親も優秀なバレリーナでしたが、

「ニナ」を妊娠した事によりバレリーナを諦めます。

そして彼女に、事有る度に話します。

 

「あなたを妊娠した事は後悔はしていない。

只、キャリアを諦めた!」と。

 

「地獄のメッセージ」です。

 

翻訳すれば

「あなたのお陰で、

私は夢を諦めた。

あなたさえ居なければ、

私のキャリアはプリマに成れた。」

つまり彼女の存在自身を

「否定」し続けたのです。
 

 

しかしながら、

彼女は母親に認めて貰いたいが為に、

母親の「理想の子供」を演じ続けていくのです。

 

身体を

「爪でひっ掻く」という信号を出しながらも、

母親の期待に応えようとして

「ペルソナ」を被り続けます。
 

 

彼女は、自分の中の「シャドー」により

「Black Swan」を見事に踊ります。

 

「White Swan」から

「Black Swan」に変化していく演技は、

魅せられました。

 

特に「Black Swan」のバレーには

吸い込まれるように、釘づけになりました。
 

 

でも彼女は、

「シャドー」である「Black Swan」を受け入れることが出来ず、

魅せられたようです。

完璧な「白鳥」を踊る事は出来ても、

「シャドー」の世界に呑み込まれてしまいました。

 

本当の私を見失いました。
 

 

「ペルソナ」と「シャドー」は

「私自身」です。
 

 

「光と影」ふたつが一つなのです。

どちらを否定しても、

自分自身を否定する事になります。

 

母親に存在を否定され、

今度は自分自身を否定したのです。
 

 

如何に

「ペルソナ」と「シャドー」を受け入れるかがテーマです。

 

今回の「マスクワーク」は

「ペルソナ」と「シャドー」の受け入れを目指します。

 

映画のような激しい葛藤は行ないません。

もっとソフトなところから入りますので、安心してください。
 

 

誰の心の中にも潜んでいる「Black Swan」
 

 

「私だけが」と言う事は有りません。
 

 

久しぶりの印象深い映画でした。

乗り越える試練

cocorotkn 2011年4月19日 by cocorotkn

東日本大震災が起きて、早ひと月。

復興が思うようにいかない、もどかしさが在ります。
 

 

この日曜日に家族でドラマを観ていました。

「JIN=仁」です。

 

現代の医者が「タイムスリップ」をして、

「江戸末期」行き、色々なドラマが展開されます。

 

「自分のした事が、歴史を変えてしまうのではないか?」という葛藤と共に

「今、与えられている事を、精一杯行う。」と言う、

メッセージが聴こえてきます。

人気のあるドラマのようです。

コミックからスタートした様ですが?
 

 

「PartⅡ」のドラマの中の少年「喜市」が言う

「神様は乗り越えられる試練しか与えない!」というセリフが有ります。
 

 

響きました!

 

確かに、この世の中の出来事は

「与えられた試練」そのものの様な気がします。

「この試練を乗り越えて、成長をしろ!」との、

メッセージが!
 

 

今回の東日本大震災も、

もしかしたら問われているのかもしれません。

 

こんな事を言えば、被災された方々には失礼ですけれども。

 

私たちは、「地球」と言う

「大きな自然」である生命体の一部です。

人類は今まで、

自然と闘い、

潰され、

そして乗り越え、

自然と調和をして、

バランスを取りながら成長をしてきました。

 

時には、

人類の手により戦争と言う破壊をも、してきました。

環境破壊も同じでしょう。

破壊をする事により、

自らの首も絞めてきました。

 

そして今回の「原発事故」も!
 
 

「神様は乗り越えられる試練しか与えない!」

この言葉が私の心に響きます。
  

 

「原子力」も同じかも知れません。

人類は、「エネルギー」を使い、

進歩してきました。

豊かな生活を手に入れました。

「水力」「火力」そして「原子力」のエネルギーを使い。
 

 

結果、豊かな生活を手に入れた代償として、

ダム建設による川の氾濫、

火力による公害、

でもそれを何とか試練を乗り越えて、

コントロールをして乗り越えてきました。

 

今度は「原子力」です。

「禁断のエネルギー」

まだ、人類がコントロール出来ないエネルギーです。

 

今回の事故により

「安全神話」はもろく崩れ去りました。

 

しかし、この試練を乗り越えて

「真の安全対策」に立ち向かえ!
「この試練を乗り越えて来い!」

 

世界中にある「原発」を

安全にコントロールできるように、

この苦しい経験を活かせ。
 

「この試練を乗り越えられないならば、原子力を使う資格は無い!」
 

「神様は乗り越えられる試練しか与えない!」
 

 

今の私にも言える事です。

公私ともに、試練の時が来ています。

この試練を乗り越えない限り、

総てが「泡と消える」事になるでしょう!
 

 

この試練、見事に乗り越えて見せます。

そして、新たなる成長を遂げて見せます。

「今のままではだめだ!

    更なる成長が必要だ!

       そのための試練だ!

            乗り越えて来い!」
 

 

とても素敵な言葉を、

聴かせて貰いました。
 

がんばろ!:共感

cocorotkn 2011年4月6日 by cocorotkn

東日本大震災で多くの方々が、辛い日々をおくられて居られます。

 

一も早く避難所からせめて、

プライベートの守られる空間のある

住居に移れる事を願っています。

 

カウンセラーのテーマとして

「受容と共感」が在ります。

 

その内の、「共感」と「同情」の違い!
 

 

TVでも報じられていましたが

「被災された方々に、何と声を掛けられますか?」と言う問題があります。
 

本当に何と声を掛ければよいのか、

言葉になりません。

何も言えないのが現実だと思います。

何を言っても傷つけるように思えて!
 

特に「頑張ろう!」と言う

言葉が一番良くないと言われます。

 

「歯を喰いしばって、

耐えて、

頑張っているのに、

まだ頑張れと言うのか!」と

言われる思いがあるからです。
 

 

でもそんなに悪い言葉でしょうか?
 

 

私は講座の中で、

「頑張ろう」も時と場合によってはOKと言っています。

と言うのも、

単に「頑張ろう」は「同情」にしか成りません。

「同情」は言う側の

「自己満足」にしかならないからです。
 

同情は時には、相手の心を傷つけることが在ります。

 

私共の講座で

「アクティブリスニング:聴き方訓練」が在ります。

この講座の中で

「人の話を聴く時にしてはいけない、12の障害」が在りま。

その中に「同情」が含まれています。

優しいようで、かえって傷つけることが在ります。

時には相手を見下している事が在ります。

自分はその経験をしていても、

もうそこから立ち直り安全圏に居り

「あなたは今辛いのですね。」と言う思いが、

何処かにあります。
 

 

同情では、

「いくらこの辛い思いを解ってくれても、

あなた達は家へ帰れば、

ごく普通の日常生活が在るじゃないか!

私たちには無い!」と言う思いが

メッセージとして帰ってきます。
 

 

しかし、「同情」では無く

「共感」ならば意味が変わります。

 

その人の気持ちを汲み、

如何に感じ取るかです。

その人と同じ経験をしても、

同じ感情にはなれません。

その人によって感じ方、

捉え方が違うからです。

 

「同じ感情を抱いた」と思う事に、

当事者とのズレが生じます。

 

それよりは「as if」

あたかも我が身に起きた如く感じ。が大切です。
 

 

私たちに同じ被災体験はできません。

でも、

「私が、

一瞬に家を壊され、

仕事を失い、

愛する家族を奪われたら、

またその家族を救えなかったら、

どんな気持ちになるか!」と、

少しでも感じ取ることが出来ればどうでしょう!

 

そこに発せられる言葉には、

思いが変わってきます。

 

被災者の気持ちが「共感」出来て、

心の奥底から湧きあがってくる

「がんばろぅ」という言葉が発せられても、

届く気持ちは変わるかと思います。
 

「あッ 私の気持ちを分かってくれた!」と言う思いが

感じ取って貰えるのではないでしょうか?
 

 

私たちは、その人自身になる事はできません。

しかしその人の傍に立ち

「共に感じる」事は出来ます。
 

 

「共感」の大切さを、

今、強く感じます!
 

「ブ」と「タ」の間

cocorotkn 2011年3月29日 by cocorotkn

私の愛読書の中に

小泉吉宏さんの

「ブッタとシッタカブッタ」シリーズの本があります。
 

 

「四コマ漫画」なんですが、

何とも言えない味わいがあります。

 

「シッタカブッタ」の考え方、

ものの捉え方を、痛烈に付いているのです。

思わず「バカだなァ~」と思ったり、

「プッ」と吹き出したり、

「それって私やん」と

「グサリ」ときたり、

本当に何回読んでも「うぅ~ん」考えさせられます。
 

 

この本の中に出てくるのですが、
 

「ブタ」が一匹います。=「ブタ」です。
 

「ブタ」が二匹います。=「ブタ」です。

何の問題もありません。

 

しかし、

この二匹のブタの間に

「一本線を引く(垣根を作る)」と
 

 

「右のブタ」と「左のブタ」になります。

 

そして、仲間が増えれば「グループ」になり

「集団」になります。

 

これが「国境」です。

 

先ほどまでは、同じブタだったのですが、

もうこれだけで

「違った二匹のブタ」になってしまいます。

 

「違ったブタ」は

「自分が良くて、相手が悪いブタ」という意識になり、

相手より常に優位に立とうとします。

 

そして、

自分が優位に立つためには

「相手が悪者のブタ」にしなければなりません。
 

競争、争いが生まれます。
 

 

「自分が善で、相手が悪」

「自分が正しく、相手が間違い」

そして、

何時の間にやら「総てが善で、総てが悪」と言う

捉え方に変わってしまいます。

 

やがて、

「善の私たちに従って当たり前。

正しいのだから。

それに従わない者は、

悪だから倒して良いのだ。」という極論が生まれます。
 

 

「正義の御旗」の下では

「総てが許される」

「正義の言う事は、総てが正しいのだ。」という考え方に変わってしまいます。
 

 

これが「戦争」です。
 

元々は、同じ「ブタ」だったのに・・・・何故!
 

私たちの考え方の中に、この事は存在します。
 

 

「垣根」が「グループ・仲間」であり、

「民族」であり「宗教」であり、

「政治」であり、

そして「国境」なのです。
 

 

元々は、同じ「人間」なのに!
 

 

こんな事を、考えさられる「4コマ漫画」です。

一度読んでみませんか!

 

「グサッ」ときますよ!

して、生きていくヒントになりますよ!

 

「シッタカブッタ」と共に!

無限の樹形図

cocorotkn 2011年3月22日 by cocorotkn

「無限の樹形図」これは、

テレビ大阪で放送されていた、

「最上の名医」の中で、出てくる言葉です。
 

 

私も途中から見出して、ハマってしまったのですが、

どうも人の命、

特に子供の命に関わるテーマの番組には、

興味を持ってしまいます。

 

放送された最終回は、

医学の世界では、

「大人の命も子供の命も同じ」

しかし、治療費が全く違う。

そして幼い故に「リスク」が大きい。

救えて当たり前。

失敗すれば訴えられる。

ならば、

同じ命ならば「リスクの低い、高い治療費」である、

成人の命を救うほうがよい。

リスクが大きく、医者の負担が大きい「小児外科」は採算に合わない。

だから切り捨ていくのが経営上ベスト!と、

重い課題もあり考えさせられました。
 

 

このドラマの中で「無限の樹形図」という言葉が出てきます。

 

ひとり幼い命を助けることにより、

その子供が大人になり、

結婚し子供を産み育てる事により、

無限の広がりが産まれる。

 

もしその命を無くす事で、

これから広がる「命の樹形図」が途切れる。

 

幼い小さな命が「無限の樹形図」を作り上げていく。

と言う主旨でした。
 

 

カウンセリングの世界にも当てはまると思います。

悩みを抱えて、カウンセリングに来られます。

その時に「悩みの軽い重い」は関係ありません。

その人自身が今苦しんでいる事には、変わりは無いからです。

 

どんな悩みでも、その人を苦しめています。

その悩みを「クリア」する事により、

その人の人生が大きく変化します。

人への関わり方が変わります。

関わり方が変われば、

相手の人の反応も変わります。

またその相手の人も、

次の人への反応が変わり、

「良い循環」が産まれてくるのです。

 

自分の関わる人、

そして、自分の家族に、

一番大事な子供に、

変化を受け継がれていきます。
 

 

これも「無限の樹形図」です。
 

 

カウンセリングでその人が「自分らしく人生を送る」様になるには、

膨大なエネルギーが要ります。

すぐに気付きが促され、

変わっていけば良いのですが、

逆にいくらエネルギーを注いでも、

変化が思うように出ない時もあります。

でも、クライアントが頑張り、

「自分らしく人生を送る」様になれば、

その力を次の人に受け継がられていきます。

 

今は、「一つの悩みの解決」にしか成らないかも知れません。

 

でもこの「自律」が

次の「自律」を産んで行きます。
 

 

カウンセリングに於ける

「無限の樹形図」を信じて、

関わっていきたいです。
 
 
 
 

春の訪れ:菫

cocorotkn 2011年3月15日 by cocorotkn

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東日本大震災は、他人ごとではありません。

16年前に阪神大震災の惨情を知って居る者からすれば、身に詰まる思いがあります。
 

 

ひとりでも多くの方々が助かり、

家族と再会できる事を祈っています。
 

 

私共の講座で「専科:ボランティアとカウンセリング」があります。

受講された生徒さんは、思い出してください。

地震・津波により、

自らも傷つき、家、家族を失った方々に私たちは何が出来るでしょうか?
 

 

私たちは少しでも、

頑張って欲しい、

勇気付けたい思いから「励まし」をしてしまいます。

「頑張って」この最悪の状況に耐え、

乗り越えようとしている方々に「頑張れ」の励ましは

かえって苦しめることになる事があります。

 

「頑張っているのに、まだ頑張れと言うのか!」と言う思いです。
 
 

 

如何に「共感」が出来るか!

そばに居て、

その苦しい思いをを聴き、

一緒になって「泣ける」か!

 

テレビを観ていて、報道の人たちが被災者の方々に「インタビュー」をされています。

 

その中に、親身になって被災者の立場になり話しを聴き、

涙している報道の方が居られました。

とても大事な事をされたと思います。

 

少しでも「気持ちを汲む」で貰えた思いで、

少しでもこころが安らぎます。
 

 

心の中では「自分だけが助かった」と言う

罪悪感を持ってしまっている方々も居られます。

そんな時にその思いを聴いて貰えたと言うだけで、

救われる思いが湧いてきます。
 

 

ボランティアをしたい方も一杯居られると思います。

でも今は、「プロ」専門家でないと対応できない時期です。

必ず、ボランティアの力が必要となる時が、そこまで来ています。

 

今、私たちが出来る事は何かを、

見つける時だと思います。
 

 

 

アスファルトの隙間から咲く「菫」を見つけました。

どんな、逆境の中でも春になると、

必ず花を咲かせます。
 

被災された方々も、

必ず立ち上がる時が来ます。

その時に力添えが出来るように、

今、自分が出来ることに力を注ぎましょ!
 

 

本当は、「春の訪れ」として、

楽しく明るい話題で書き込みをしたかったのですが!

Yahooの知恵袋

cocorotkn 2011年3月8日 by cocorotkn

「Yahoo!の知恵袋」が、話題になっています。

 

私も時々、覗いています。

いろいろな質問があり、それに対しいろいろな解答が掲載されています。

真剣に答えている返事が多いのですが、

時には「?」と言うのもあります。

でも、いろいろためになる事は多いようですね!
 

 

以前の質問に

「昔、携帯が無い時代、待ち合わせとか、約束はどうしていたのですか?」という趣旨の質問がありました。

 

思わず「えっ!」と思いましたが、

今の世代は人たちにすれば、素朴な質問なんですよね!

 

携帯電話が当たり前の如く、

日常性生活の中に入り込んでいる世代にとっては!

 

携帯さえあれば、

待ち合わせも、

時間変更も、

キャンセルも、

リアルタイムに連絡を取り合う事が出来て、

とても便利になりました。

 

相手の人に迷惑を掛けないように、

対応が素早くできるようになりました。

 

その反面、いとも簡単に約束の変更が出来るようになりました。

自分の都合で!
 

 

携帯の無い時代は、

「黒電話=固定電話=家の電話」でした。

「個人から個人へ」の電話ではなく

「家への電話」でした。

 

友達に伝えたい事があれば、

先ず「友達の家=友達の家族(親)」に電話をして、

友達に繋いで貰わなければなりません。

 

これが、彼女への電話ならば、そら大変でした!

父親などが出てくると、とても緊張します。

「○○さんのお宅でしょうか?

わたくし△△さんとお付き合いをさせて貰っています、

○○と言うものですが、

△△さんは居られるでしょうか?」と言って繋いで貰います。

 

時には、父親によって「ガチャ」を電話を切られてしまい、

取り次いで貰えない事がありました。

本当に大変でした。

電話をする時間まで気を遣って!

遅い時間等もっての外でした!

 

でも、このような経験が社会に出てから、

仕事での電話の対応の仕方が、自然と身に付いていました。
 

 

携帯は「個人=個人」ですから、

必ず本人が出ます。

敬語も要らないし、

初めの挨拶も要りません。

要件をダイレクトに話していけば良いのですから。
 

 

待ち合わせにの時も、

必ず相手が出ますからすぐに変更の連絡も伝えられます。

リアルタイムに!

いとも簡単に!

 

しかしながら、

「黒電話=固定電話=家の電話」ならば、そうはいきません。

直接、本人に繋がらないのですから!

 

昔は駅での待ち合わせの時は、

駅には「伝言板」がありました。

そこに伝えたい事を書き込み、連絡を取り合ったものです。

これしか方法がありませんでした。
 

 

相手が待ち合わせ時間に来ない時は、

連絡の取り様がありません。

ひたすら待つか、

相手の家に電話をして

「連絡が入って居ないか?連絡が入ったら伝言をして伝えて欲しい。」等をして、

コンタクトを取るしかありませんでした。

 

ですので、変更が生じた時は相手に連絡が付く時間までしか、

変更はできません。

相手を待たすだけです。

 

ですので、出来るだけ「約束」を守ろうとして動きます。

相手に迷惑を掛ける事になりますから。

スケジュールの調整もしっかりします。

約束した事を変更する事が難しいので!

 

自然と相手への「思いやり」が生まれます。

そして約束を守ると言う事も!
 

 

今は携帯のお陰で、

いつでも連絡を取る事が出来るので、

いとも簡単に変更、キャンセルをするようになりました。

「ドタキャン」もありです。
 

 

便利になった分だけ、

何かを「失った」様な気がします。
 

 

相手を「思いやる」

こころを!
 

マラソン~歩いて行こう~

cocorotkn 2011年3月3日 by cocorotkn

先日「東京マラソン」が開催されました。

 

 

当日の読売新聞「編集手帳」にコーナーに

「東京マラソンを2時間半で走ったと自慢する人が居ますけれど、

もったいないでしょ。

沿道に用意された、あんパンやバナナもろくに食べれない。

私の場合は5時間近くも掛けて走りながら、

飲み放題、食べ放題・・・」

市民ランナーで「ゑりの未楽」の落語家名も持つ作家、衿野未矢さんの話が載っていました。
 

思わず「プッ」と吹き出しました。

 

マラソンと言えば人間の限界に挑戦して、

42.195キロを、如何に速く走る競技と思いこんでいました。

そんな事は、

一部のトップクラスの選手に任して、

楽しむマラソンもOKなんですよね。

 

確かに、記録に挑戦も大切な事です。

自分の頑張った証にもなります。

自信にもなります。

やればできるんだと!
 
 

 

楽しむマラソンも素敵だと思いました。

沿道の応援してくれる人たちに触れ合いながら、

走るのも良いんじゃないですか!

ボランティアで「エイドステーション」を準備して、

ランナーたちに提供してくれる人たちに、

笑顔を讃えながら

「飲み放題、食べ放題」も素敵ですね!
 

 

私設ステーションの心が籠っていると思います。

「今年もここを楽しみにしていました。」と言って、触れ合っていく。
 

 

時には、完走して「プロポーズ」!

 

交通事故で亡くした子供に背中を押されてゴールした!

 

目的を持って、自分の自信にする為に等、いろいろ!

 

いろんな「ゴール」があっていいじゃんないですか!

 

「ゴール」は一つでも、

ゴールするまでの方法は、

人それぞれ一杯あっていいじゃないですか!

その人なりに満足できれば!

残念ながら、途中リタイヤしても、

「チャレンジ」して頑張った自分が居てるじゃないですか!
 

 

みんな素敵です! 

頑張ったんだもの!

 

なんか「人生」と似ていませんか!
 

人それぞれの「ゴール」があります。

そして、それぞれの「ルート」があります。

これ以外の「方法」「道」は無い事は無いのです。

決して「決められたゴール」「決められたルート」だけではありません。
 

 

自分が歩いた道が

「あなたのルート」です。
 

自分がたどり着いたところが

「あなたのゴール」です。
 

誰の「ゴール・ルート」でもありません。
 

「私自身の、、ゴール・ルート」です。
 

人間、歩いて「時速5キロ」そんなに急いでも、変わりません。
 

ゆっくり、人生を楽しんで進みましょ!

 

時には寄り道、脱線もいいじゃないですか!
 

急ぎたい人には、急いで貰って!
 

「人生、ゆるりと参りましょ!」 

 

なんか、10月の「大阪マラソン」を走りたくなって来ましたよ!

楽しみながら!

伝承②

cocorotkn 2011年2月22日 by cocorotkn

二週間ほど前に「党首討論会」がありました。

「菅内閣」になっての初めての「党首討論会」のようでした。
 

 

当日は講座がありましたから、

リアルタイムに見れませんでした。

初めはNetニュースで読んでいました。

そして帰宅後ニュース番組で見ました。

 

その時に少し違和感を感じました。

 

討論中の「公称」です。

菅首相(総理大臣と呼べばいいのでしょうか?)と

谷垣自民党総裁の名前の呼び合いでした。

 

討論中、菅首相は

「谷垣自民党総裁」と名前を呼んでいました。

 

しかし谷垣自民党総裁は

「菅さん」と名前を呼んでいました。

なんか変ですよね!
 

 

今は、いろいろ問題がありますが

菅首相は、我が国の総理大臣です。

イコールこの国の代表者です。

そのトップの人を「さん」付けで呼んでよいのでしょうか?

 

会社で言えば「代表取締役社長」に対し

「○○さん」と」呼べるでしょうか?

 

例え年下、経験不足な上司でも「さん」付けで呼べるものではありません。

まして、相手の会社の「社長」に対し

「さん」付けでは絶対に言えません。

 

会社の規模に大きな差があっても同じです。

相手を立てて「役付け」の名前で呼ぶのが礼儀です。

 

特に「公」の場では!
 

私はそのように習ってきました。
 

 

今、見ていると同じ民主党の中でも「さん」付けで呼ぶい人がいます。

同じ閣僚の中でも。
 

昔は、大臣といえども

「○○総理大臣」「○○首相」と呼んでインタビューにも応えていました。
 

 

何時から、「目上の人を敬う」心を忘れてしまったのでしょうか?

私たち大人が、

このような表現を繰り返していたら、

子供たちは当たり前と思い、

ごく自然に使わなくなって来ます。

 

現に、学校の先生を敬う事が子供たちにどれだけ居るでしょうか?

「タメ語」を使う子供がとても多くいます。
 

私たちがしっかりと「言葉使い」を正さないと

「日本語」の良さが崩れていきます。
 

 

また、こんな言葉使いをしていると、

相手から「見下され」、「信用されない」人間になってしまいます。

自民党の支持も上がるのでしょうか?    

 

例え「戦略」として表現しているとしても、問題があります。
 

 

私も、言葉を伝える立場に居ますので、

「心して」話さなければなりません。

 

伝えなければならない事が一杯ありますね!
 

伝承

cocorotkn 2011年2月16日 by cocorotkn

講座の中で、生徒さんに分かりやすく伝える為に

「ことわざ」や「言い回し」や時には

「昔あったこと」や「作法」等を交えて、

伝えることがあります。
 

ところが、「ことわざ」等、

私たちが昔から使っていた

「言い回し」が伝わらない事が多々あります。

 

以前は「ジェネレーション・ギャップ」だなと思い、

伝わらなくても仕方が無い事かなと、

軽い気持ちで流していました。
 

 

しかしながら、それで良いものかと思うようになりました。
 

 

私たちは「ことわざ」「言い回し」「礼儀」「敬語」等、

誰に教えて貰う訳でもなく、

何時の間にやら自然と身に付いている事でした。(勘違いの時もありますが!)

 

職員室に入る時の作法、

先生、上司、先輩、に対する敬語、

接し方等は誰に教わることなく、

先輩たちの姿や、話から、

何時の間にやら覚えてきました。

 

ごく自然と、「当たり前」として、身に付いています。
 

自然と伝わっていた事柄が、今途切れ始めているようです。
 

 

今、私たちが「ジェネレーション・ギャップ」として仕方が無いとして、

伝えなければ、

その「言葉」「作法」「行事」「礼儀」等が、

途切れてしまうのです。

 

途切れれば、

その「言葉」「作法」「行事」「礼儀」等事態が

「存在せず」になってしまい、

此の世から消えてしまいます。
 

 

一度途切れれば、

ふたたび「繋ぐ」事は困難になります。

 

何気ない、日常生活から消えてしまうと、

それが当たり前になります。
 

 

とても怖い事です。

こんな事が進んで行くと「日本の文化」までが

消えていくことになります。
 

 

私たちが知っている事は、

「先人たちの智慧」からの伝承です。

私たちが伝えなければ、途切れてしまいます。

何を伝えれば良いのかはピンときません。

私にとっては当たり前の事でしたので。

でも、何でも良いから伝えれることから、

伝えていくつもりです。

 

例え「年寄りくさい」「死語」と言われようが、

折に触れて意味を説明しながら、伝えていくつもりです。
 

 

「伝承」≒「後継者づくり」に成ります。
 

 

「エリクソンの発達心理学」の

「第7段階:生殖性」のテーマ

「後継者づくり」今その真っ最中です。