身近なカウンセリング

盗電:自己中

cocorotkn 2010年3月9日 by cocorotkn

日曜日に学校からの帰宅時に、

「近鉄:大阪難波駅」のホームで

「盗電」の現場を初めて見ました。

 

ニュース等で話は聞いていましたが、現実に見るとは思っていませんでした。

それも、駅のホームで堂々と!

ホームに座り込んで、

盗電しながら携帯を操作していました。

あまりにも堂々としているので、みんな気が付かないようでした。

 

今、流行の「鉄男」風の大の大人でした。

当の本人は何も気にならないのでしょうか?

自分が行っている行為が「違反:犯罪行為」で在り、

他の人に迷惑をかけているという事を!

自分さえ良ければ、何をしても良いのでしょうか?

あまりにも「自己中」になり過ぎて居ないかな?と思います。

 

携帯のバッテリーが無くなっても、

今ではコンビニでも駅の売店で、

「簡易のバッテリー」が売っています、

困る事は無いとは思うのですが?

 

充電コードを持ち歩いているので、

あちこちで行って居るのでしょうね?

本人にとっては、「問題ない」行為なのでしょうね。

 

これも、神経症の特徴「自己中」が顔を出しています。

物事を自分中心に考え、周りの事は気にしない。

これでは対人関係を本人が気付かない間に、壊してしまいます。

 

本当に身近な所に「神経症予備軍」が一杯居るようですね!

 

その朝の電車の中で、先頭車両に乗っていたのですが

運転席から運転士とその指導員の声が、

車内に大きな声で聞こえてきました。

 

指導員:「今の所を、見て確認をしていたか?操作が遅れて行われている!」
 

運転士:「あっ、確かに見ていませんでした。良くない事です!」
 

 

このような会話が終着駅に着くまで続いていました。

安全運転の指導をするのは良いのですが、

乗客に聴こえるような大きな声で話すのは如何なものか?

また、そのミスを受け答えする運転士も如何なものか?
 

乗っているこちらとすれば、

「この電車の運転は大丈夫?」を言う不安が湧いてきます。

指導も大切ですが、

乗客の乗っていない処で、指導と練習をして貰えないものでしょうかね?

ここにも「自己中」が顔を出しています。

 

これも、「盗電男」と「五十歩百歩」のような気がします。

朝青龍:善と悪

cocorotkn 2010年2月5日 by cocorotkn

昨日、横綱・朝青龍が引退しました。

 

賛否は色々あるかとは思います。

実力は誰もが認める処でしょうが、

行動に問題が有り過ぎた事が

今回の結果になってしまったようです。

 

 

何故、朝青龍のブレーンがしっかり出来なかったのか?

日本で言う中学を卒業して即、

日本に来て右も左も分からず、高校に入学しそこから相撲界へ!
 

日本の風習が分からないのが当たり前で育ち、

相撲界の仕来たりも理解する前に、

横綱に出世したら、

ブレーキがうまく効かなくてもおかしくありません。

 

そこを周りの大人たち(ここでは親方衆ですか?)が

色々な面でサポートしながら、育てていくことが当たり前なのに、

肝心なことをほったらかしにした結果、起きた面も多々あると思います。

 

ある意味で、

相撲界の因習、

大人たちのエゴの犠牲者であるかもしtれません。

でも、朝青龍自身が責任ある行動をとることは原則ですが。
 

今までの報道等を観ていると、

常に彼を悪役(ヒール)にする事により、

相撲人気を作っていた面もあるかと思います。
 

  特に外人力士を!

 

 千代の富士の時は小錦

 若乃花・貴乃花の時は曙

 白鵬には朝青龍(これは外人力士同士ですが)

 

片方を「ヒール」にする事により、

相手を「正義」に仕立ててきた歴史!

今回も、

「ヒールの朝青龍」に対し

「優等生の白鵬」を作り上げている感じがします。

 

「ヒール」がいて居るお陰の「優等生」

もし「ヒール」が居なければ

「優等生」は存在せず、

「優等生」は

「ただの人」になってしまいます。

 

もしかして「白鵬」にも言える事かもしれません。

それならば次の犠牲者は彼かもしれません。

彼はさらなる「優等生」を演じ続けなければなりません。

比較対象される「ヒール」が居なければ、

みんなに「認知」して貰うためには、

今まで以上の「努力」を「精進」を続けなければなりません。

 

これは、かなりの苦しみです!

自分らしく生きる事を

「善」としない生き方ですから。

自分に嘘をつき続ける人生って、

とても辛い人生です。

 

彼が、この「プレッシャー」に潰されない事を願います。
 

皆さんも、「ヒール:悪」と「優等生」という関係で、

人を観ていませんか?

 

そして、「優等生」を演じて、

自分自身を見失っていませんか?
 

Wうつ:不安と隣り合わせ

cocorotkn 2010年1月21日 by cocorotkn

萩原流行さんの「Wうつ」を読みました。

 

テレビ画面で観ている萩原さんは、

「二枚目でありながら何処かひょうきんな所があり、悪役もこなせる」

役者さんだと、イメージしていました。

私にとっても好きな役者さんの一人でもあります。

 

しかし、

その萩原さんが「うつ」であるという事を知り

「えっ」という驚きがありました。

テレビから見受けられる萩原さんとは、

とても、そう思えないイメージでした。

ただ、そう言われれば、

ひょうきんな事をしている時に、

何か「表情」に影が、というのは気にはなっていました。

 

「ナルシスト」「ストイック」な役をしている時は、

かなり「神経質」な面を感じられましたが、

「役柄」と思っていました。

 

また、ご夫婦での「Wうつ」にも、驚かされました。

本当に身近な所に忍び寄ってきている現代です。

 

 「Wうつ」の本の中で萩原さんが

「年末、年始が怖い!

年明けから仕事が来るのだろうか!という不安が襲ってくる!」

「休むことが怖い!次の仕事が来るのか?」

「仕事をやり続けるほうが安心できる!」

 

この部分を読んで「ドキッ」としました。
 

私にも、少し当てはまるところがあるからです。
 

 

毎月「カウンセラー養成講座」を開催していますが、

「第1回目の体験講座に予約が入るのだろうか?」

「今月は生徒さんが入学してもらえたが、来月は入学してもらえるのだろうか?」
 

正直なところ、毎月予約が入り、そして入学もしてもらっていますので、

これは、取り越し苦労だとは分かってはいるのですが、
 

やはり、毎月体験講座が近づくと不安になります。
 

こころの中では、

「毎月生徒さんが入学して貰えて、当たり前。」という

「おごり」を持ってはいけない!と

自分自身に「戒め」として言い聞かしているのですが!
 

これも、言い訳ですね!
 

 

おかげで、萩原さんの気持ちがすごく分かる気がしました!
 

 

今月の体験講座も24日から始まります。
 

また、見えない不安との戦いを、少し意識しながら!
 

しかしながら、この不安は消える事は無いと思います。

このように感じて、

不安になっているのも「私」なのですから!
 

 

大いに、

不安と付き合って、

楽しみます!
 

2010年 あけましておめでとうございます。変革の時

cocorotkn 2010年1月1日 by cocorotkn

あけましておめでとうございます。

新しい年の始まり、新たなるスタートを切れる時がきました。
 

昨年は、変化の年でした。

アメリカでは、黒人初のオバマ大統領が「チェンジ」を訴えて誕生しました。

日本でも、長く続いた自民党政権に代わって民主党政権が誕生しました。
 

みんなが、今までの状況では駄目なんだ、

新しく変わらなければ駄目なんだという思いから、

「チェンジ」を望み、選択をしたのです。

これからは、世の中のいろいろな事が変わっていくチャンスが訪れるでしょう!

考え方も、価値観も、環境も変化をするでしょう!
 

 

しかし、

一番変わらなければならないのは「自分自身」です。

周りの環境は、どんどん変わっていきます。

でも、自分自身が変わろうとしない限り、

誰もあなたを変えてくれる事はありません。
 

自分が変わらない限り!
 

 

自分の人生を宿された、

さだめられた事しかできない人生

「宿命」として生きるか!

 

「運命」として、

環境に左右されて振り回され、

周りの性にして生きるか!

 

 

それとも、

自分自身で道を切り開き、

自己責任を取り、

自分らしく生きることを目指す

「立命」として生きるか!

 

「チェンジ」の流れが大きく動いている時こそ、

「チャンス」のタイミングです。

 

誰もあなたの事を変える事はありません。

「誰も私を見てくれな。

わかってくれない。

助けてくれない。

みんなが悪い。」と嘆いても何も変わりません!

政治も、会社も、世の中の誰も、あなたを変える事はありません。
 

 

あなた自身が変わる事が大切です。
 

 

自分自身が「チェンジ」することにより、

手に入る「幸せ、自分らしさ」を今年こそ手に入れませんか!
 

 

「Yes I Can Do it!!」

 

「私には、出来る!」

蓮池 薫さんの素敵文

cocorotkn 2009年12月27日 by cocorotkn

学校への行き帰りでよく本を読むのですが、

心理学の本ばかりではなく時には

話題の本や、

まったくジャンルの違った本を読む事があります。

「1Q84」とか「ハリーポッター」とかも読みますよ。

 

つい最近は、蓮池薫さんの「半島へ、ふたたび」を読みました。

拉致被害者である蓮池さんが、

ふたたび半島へ渡った(韓国側です)時に感じた、

いろいろな思いを書いた本です。

内容はソフトに表現されていますが、

時折拉致された思いが書き込まれています。

拉致された思い、

また、帰国が出来ない悲しさ、

そこで生きていかなければならない思いを、

静かに描かれていました。

 

この本の中の最後の部分で、

蓮池さんが講演で中学や高校へ行かれた時、

みんなに伝える事があるそうです。

 

「100%の自信がうまれるまで待っていたら、チャレンジなんてできない。

というより、

100%の確率なら、

それはすでにチャレンジではない。

最初は50%でいい。

まずは始めてみよう、

後はやりながら学んでいけばいい。

必要にかられた学習、

実践の中での学習こそ、

何倍も身に付く。

失敗したら、

失敗を通してしか、学べないものを学びとればいい。」

 

この文章を、女房に伝えると次の言葉が返ってきました。

 「ええ言葉やなー

  子供の時に、親からこの言葉を貰っていたら、

  あたしの人生変わっていたかもしれへんなー。」
 

 

その通りだと私も思いました。
 

この蓮池さんの言葉を、

みんなに伝えようと思います。

「自分らしく幸せに生きたいならば、

 自分自身が変わることが大切です。

 相手が変わることは無いからです。

 自分自身が変わるのは、とても怖いことです。勇気がいる事です。

 時には失敗もあるでしょ!

 しかし、その失敗から得る事のできる、素晴らしい経験を大切にして欲しい。

 成功から学ぶことよりも、失敗から学ぶこ事がどれ程、貴重な体験か!

 絶対の正解などありません。

 もし正解があるのならば、それは他人が出した答えです。

 自分自身の答えではありません。

 失敗を恐れずに、先ず一歩前に進みましょ」

 

 人生の成長、そのものです。

箱モノ:心の中

cocorotkn 2009年12月18日 by cocorotkn

今日は、強烈に「寒い」です。

地元の山は、雪景色でした。どんな田舎! 

 

先週、下の娘が「キッザニア甲子園」に行ってきました。

もう行く2週間前頃からは興奮状態でした。

案の定、帰って来てからは「マシンガントーク」です。

その日やってきた事を、全部説明してきました。

余程、楽しかったのでしょ!

確かに、いろいろな職業体験が出来、

それによって稼ぐ事の出来たお金を銀行に預け入れ、

そして本人のキャッシュカードが作れ、

キッザニアで使えるお金をATMから引き出したり、

そのお金で色々なショッピングが出来るようです。

「キャビンアテンダント」

「お医者さん」

それも外科医になって手術体験、

など一杯体験できたようです。

その姿の写真もあり

写っている姿はそれなりに「様に」なっていました。

顔の表情も生き生きしていて、

楽しかった様子が伺えます。

 

「私のしごと館」とは大違いのようです。

色々な職業を学べるようですが、

その職業を紹介するのに、

マネキンにその格好をさせているだけ!

その一体のマネキンモデルが

100万、200万円掛かっていては困ったものです。

職業体験といっても、

これといってと、いうモノもないようでは!

本当に「箱モノ」と言われても仕方ないかもしれません。

 

まさに「仏つくって魂入れず」の状態です。

 

いくら立派なモノを作っても、

そこに目的、方向性が無いと意味がありません。

意図はしっかりしていたでしょうが、

それを発揮させるノウハウが不足していたのでしょうか?

 

私たちの世界にも言えます。

カウンセリングの勉強は大切です。

しかし「理論」として学んでも意味がありません。

その学んだことを、実生活に活かせてこそ意味があります。

「マニュアル」「データ」「理論」に頼りすぎ、

「真実のこころの叫び」を

聴きそびれては意味がありません。

 

学んだ知識を、実践の中で使いこなせてこそ意味があります。
 

自分自身の「こころの叫び」を聴くために、
 

そして、

相手の「こころの叫び」を聴けるようになるためにも!
 

知識による「箱」だけを作らず、

その「箱」の中に

「魂」を注いで

「血の通ったカウンセラー」を目指してください!

割り合い

cocorotkn 2009年12月1日 by cocorotkn

今下の娘は、算数の時間で「割り合い」を習う時期になりました。

どうもこれが苦手なようで、意味が理解できないようです。

上の娘も苦手なようで、いまだに苦労しているようです。

 

簡単に言えば次のような例です。

「100g200円の肉を、250グラム買いました。支払いはいくらでしょう?」と、言うような問題です。

 
1グラム当たりの単価を計算すれば、

すぐに答えは出るのですが、

どうもピンと来なくて、計算がメチャクチャになってしまうようです。

そういえば、私もこの頃はよく勘違いをしていた気がします。

ただ、答えが大きくなるか、

小さくなるかは理解できてたと思うので、

そっちの答えになるように、

掛けたり、

割ったりしていたと思います。

 

なぜ、ピンと来ないのかなと思っていたら、

私たちが小さい頃、よくお使いをさせられました。

「肉屋さんへ行って、100グラム250円の肉を450グラム買ってきて。」

時には「100グラム250円の肉を、600円分だけ買ってきて」と言われ、

その結果肉の量が多いか少ないか、

支払いが多いか少ないかと、

生活の中で、この「割り合い」を体験していました。

 

しかしながら今の子供たちは、

お使いに行っても「スーパー」に行くために、

すべて「パック」になっていいます。

この感覚が体感できない状況です。

店員さんに話をしたり、

聞いたりする事の無い今では、

日常生活の中で、学ぶことが出来なくなって来ているのかもしれません?

 

昔は、何を買うにも店の人に注文をしない限り、

何も買うことはできません。

店の人と「やり取り」をして、

コミュニケーションを覚え、

簡単な駆け引きを学んだものです。(おまけを貰う事)
 

 

これこそが、生きていくための「総合学習」だと思います。
 

今の子供たちは、

店でコミュニケーションをせずに、

なんでも買い物ができます。

挨拶をしたり、

「ありがとう」と言う言葉が必要のない環境です。
 

 

ある意味で生活は便利になりましたが、

人と人とのふれあいが、どんどん無くなってきています。
 

 

なんか寂しい世の中ですね!

あたりまえ

cocorotkn 2009年11月24日 by cocorotkn

私たちは「あたりまえ」に慣れてしまい、

「ありがたさ」に対し、無関心になった気がします。

毎日、「生きていてあたりまえ」

「御飯がだべれて、あたりまえ」

「電車に、車に乗れてあたりまえ」

「好きな物が買えて、あたりまえ」

「好きな事をしてて当たり前」

「毎日、学校、会社に行けてあたりまえ」

「毎日、テレビが観れてあたりまえ」

「誰かが、私の為にしてくれてあたりまえ」

「私の犠牲になって、私が楽しくあればあたりまえ」いっぱいあります。

 

確かに、

日本は「平和」で貧富の差があれ多かれ少なかれ「幸せ」に生活が送れます。

でも、それは色々な人たち、

いろいろなものたちの努力、

犠牲の上に成り立って居るものが多くあります。
 

 

御飯がいつでもお腹一杯食べれる!

これも当たり前のことです。

好き嫌いをいくら言っても、

空腹にならずご飯が食べれます。

しかし、

その「あたりまえ」が何の問題なく手に入るのは、

いろんな人たち、ものたちの力添えがあればこそ、

成り立っている事です。

 

今、娘達もこの「あたりまえ」の中で育っています。

何にも、娘たちに「苦労」を味わせたくないので、

出来るだけ「望み、夢」を叶えられる様に、環境作りをしてきました。

時には、その事が娘たちを

「あたりまえ」の世界に浸らす事に成るのかと、思い悩む時があります。

何も「苦労を買って出ろ」と言いませんが、

「あたりまえ」では無い事に、もっと気づいて貰わなければならない気もします。

「世の中」も「あたりまえ」で通っているから、

余計に無頓着になるのでしょうか?

「平和ボケ」の一言で片づけれることではないと思います。

 

「あすかへ、そしてまだ見ぬ我が子へ」の一節を書き込みます

 

「あたりまえ」

 あたりまえ。

 

こんなすばらしいことを、

みんなはなぜよろこばないのでしょう。

あたりまえであることを。

お父さんがいる。お母さんがいる。

手が二本あって、足が二本ある。

行きたいところへ、自分で歩いて行ける。

手をのばせばなんでもとれる。

音がきこえてこえがでる。

こんなしあわせはあるでしょうか。

しかし、だれもそれをよろこばない。

あたりまえだと 笑ってすます。

食事がたべられる。

夜になったらちゃんと眠れ

そしてまた朝がくる。

空気をむねいっぱいにすえる。

笑える 泣ける

叫ぶこともできる。走りまわれる。

みんなあたりまえのこと。

こんな素晴らしいことをみんな決して喜ばない。

そのありがたさを知っているのは

 「それを失くしたひとたちだけ」

 

 「あたりまえ」に麻痺しないように、心に感じていきましょう!

シニアが来た!

cocorotkn 2009年11月20日 by cocorotkn

この夏に家族旅行に行った時です。

 

遊園地のゲイトの料金表に

   「シニア(55歳以上) ○○○○○円」と表示されていました。

フゥ~んと過ぎていくところが、

私は今年の11月で「55歳」になるのです。
 

まさしく私が「該当者」に11月以降になるのです。ガァク~ん!
 
 

これが現実です。

確かに昔でいえば(私が社会人になった頃)定年は「55歳」でした。

全く意識していなかっただけに、少なからず「ショック」を受けました。

 

仕事がら、若い人たちと関わっていく関係で、

年齢をあまり意識する機会が少ないせいもあります。

ワーク(Ellenやエサレンでのダンスワーク)していても、

生徒さんたちよりも元気に最後まで踊っていますので、

体力的にも自信があったものですので。

「TDR」「USJ」に行っていても、

チケットを手に入れるために、必死になって走って行きます。(途中でアゴが上がりますが!)

子どもたちも「とうとはいくつ」と

疑問視されるぐらいの時もあります。

 

自分自身の意識の中でも、「年齢不問」の状態です。

帰りの電車の中で、仕事帰りのサラリーマンを見ていると、

「この人たちはいくつ?」

酒を飲んで、

会社、上司の悪口を言いまくって、

ヨレヨレになっている姿を見ていると

「このおっさんは!」と思わず思ってしまう事があります。

もしかして、私より若いかも知れないのに!

 

自分自身の中では「若い」意識があるのですが、

現実は「シニア」が近づいてきています。

只、「シニア」として落ち込む気はありません。

「気持は若く、シニアを楽しもう!」と思っています。

「シニア割引」もありますしね!

まだまだ、若い者には負けません!

この発想こそがシニア

 

私には、まだまだやりたい事が残されています。

以前、スタッフが

「20年後、結婚して子供が出来、子育てから手が離れたら、先生と一緒にエサレンに行きたい。」と言っていました。

「おいおい待てよ、20年後は私は75歳だぞ!」

しかしながら、スタッフの意識の中では、

私はいつまでも今のまま居ている気がするそうで!

 

まぁ、私もその期待に応えるようにこれからもがんばります!
 

毎日、若い生徒さん達の「生き血」(エネルギー)を吸って若く頑張ります!

私は「ドラキュラか!」

他の人に何でそんなにパワフルで居られるのか聞かれる時には、

よく冗談で言っています。
 

’09 第5回 Ellen Watson ワークショップ

cocorotkn 2009年10月21日 by cocorotkn

 

Ellenのワークショップ無事終わりました。
 

開催前に大型台風が上陸しましたが、

まさしく「Ellen台風」が私たちの心の中を吹き抜けて行きました。

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今年のテーマは「Dancing from to Freedom:自由へのダンス!」でした。
 

今年のエサレン中にEllenとワークのテーマについて話し合っている時に、

今年は何をしたいかと聞かれた時、「恐怖からの解放」と答えると、

Ellenが「まだ、恐怖から解放されないのかい?恐怖のテーマで何回ワークをしている!」と言われましたが、

しかしながら「恐怖」にいまだに囚われているのも事実ですし、

そんなに簡単に解放されるものではありません。

それだけ、根が深いものですので。

 

そんな訳で、今年も「再度チャレンジ」です。
 

今年は去年の反省から、

初体験者達と経験者が旨くひとつの輪になれるようにEllenはスケジュールを組んでくれました。

セイジのエッセンシャルオイルを額に付け、

乾燥セイジを燃やしその煙で

「清める(儀式として)」事をひとり一人行い、一体感を感じるように工夫をしてくれました。

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そして、日本の歌を皆で唄い、そのあとにネイティブアメリカン:エサレン族の歌を唄いました。

(ただ、初体験者にとっては退いてしまったようですが!)
 

その後は、Ellenワークのオンパレードです。

今年は、新たな試みとしてワーク会場の外に出て、

人混みの中に入り「恐怖」を感じる体験を行いました。

ワーク会場そばは「橿原神宮」ですので、

自然も豊富ですし、

初代天皇「神武天皇陵」もあり日本人のルーツ(尚、政治、宗教的意図は全くありませんので)でもあり、

何か感じることが多くできる可能性があります。

ところが、当日は橿原神宮では「フェスティバル」があり、出店、イベントなどで人が一杯です。

そして「大安」でもあり、結婚式も多数ありの状況の中を

Ellenを先頭に約40名のメンバーが無言でただ歩き続けます。

周囲の目は明らかに「興味の目」で見られています。

その中を、黙々と歩き続けるので、

「不安、恐怖、恥ずかしい、」などいろいろな感情に襲われます。

ただ、みんなと一緒に居る安心感があり、

「守られている。ひとりじゃないんだ。」という感覚が皆を守ったようです。

その後のワークで感情が出やすくなりました。

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その後、「聲明」(お経を唱にしたもの)を、

広島から参加してくれました「高仙さん」が詠う中で瞑想したり、

「恐怖」に向き合う心づもりをしてきました。

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 いよいよ夜は第1日目のメインイベント「ブラインド・ダンス」です。

目隠しをした上、予め作製した「恐怖のテーマのマスク」を被り、「恐怖との対峙」が始まります。

昨年も体験しているのですが、

今年は昨年以上に「恐怖への叫び」が吹き出しました。

「恐怖」に対峙し、立ち向かい、受け入れる作業です。

普段かよわい女性が、

どこから湧き出てくるかと思うばかりの力で、ぶつかって来ます。

私が受けても、後ずさりする位の力です。

「心の中に閉じ込めた、悲しみ、寂しさ、苦しみ、怒り、妬み、恨みなど」が

一気に噴き出してきているようです。

ペアを組んだパートナーがその人たちを受け止め、

守っているので、

ダンス後は「安心感」からすっきりした顔になっていました。
 

二日目は、昨年同様Live演奏でのダンスです。(昨年同様、伊藤さんの協力です。)ジャンベの生演奏の響きの中で、

「5Thリズム セッション」(第2回ワークショップで行いました)のもと、感情に向き合うダンスを続けました。

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途中からは、「ポエムダンス」の始まりです。

各自自作の「感情の4行詩」を基に、パフォーマンスダンスを演じます。

チームを組んでパフォーマンスダンスを皆の前で表現します。

叫び、踊り、繰り返していくうちに「昔、飲み込んでしまった感情の叫び」が吐き出されていきます。

一緒に見ている皆も、自分の昔を思い出し、涙が溢れ出します。
 

いつもは、引っ込み思案で気持ちを表現することが下手な皆が、

一生懸命「自分自身の思い」を表現してくれます。

素晴らしいことです。

 

今年はマスクをもう一面用意していました。(真っ白なマスクです)感情を吐き出した後、

今の気持ちをマスクに表現しました。

初めのマスクと違って、新たなマスクは「明るく、ホットするマスク」が多く出てきました。

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午後からは、もう一度橿原神宮へ向かいましたが、

昨日ほど緊張はあまり感じず、周りの目も感じず、歩いていました。

後は、仕上げのダンスです。

新たなるマスクを被り、自由にダンスをします。

「5Thリズム セッション」を感じながら!
 

今回のワークでも色々な事がありました。

これまで5回のワークを行っていますので、

回を追うごとにステップアップして行っていますので、

経験者は素直にワークに入り込んでいき、感情を吐き出しますが、

初経験者にとって入りきれない、

もどかしさ、

感じられない苛立ちと自責の念、

予想外の感情への反応、

と戸惑いがあったようです。
 
 

無理もありません。

それだけ幼い時より「自分らしさ」を殺し、感情を飲み込み、閉じ込めていたのですから!

そんなに一気に出ては来ません。

 

「ティッピング」の如く、少しずつ殻をツツキ、少しずつ殻にヒビを入れ、

「殻を破り、生まれ変わる日」迎えて欲しい。

 

今そのスタートを切ったのだから。

「やり続けること」「継続は力なり」この事がとても大切です。

 辞めればすぐに元の状況に戻ります。

やり続けることにより変化「チェンジ」が生まれるのです。
 

自分らしさ、幸せのゴールを目指して、走りましょ!あなたのペースで!

他の人と比べる必要はありません!

 

「あなたはあなた。私は私」なのですから!

ゲシュタルトの「今、ここ」を心がけて、一歩一歩、歩きましょ!

「私の幸せ」に向かって!
 

そして次回、Ellenに会う時に「素敵な笑顔」で迎えれるように!

 

PS:今回ワーク会場より外に出た時、周りの目は驚異の目でした。

「変な集団、宗教集団」と思われていました。

現に途中である老婦人が「なんかの会ですか?」と尋ねてきました。

悲しいかな、未だに日本では「心理学」「ワークショップ」が受け入れられていないのが現状です。

(変な集団がある性もありますが?)

TKNを開いて14年、其のころから比べればかなり改善されましたが、まだまだです。
 

これからも、少しでも皆に受け入れて貰えるように、「

カウンセリングの種」を蒔き続ける事が、

私のライフワークのようです。