対人関係の糸口

デフレ・スパイラル:廻り回って

cocorotkn 2009年12月10日 by cocorotkn

世の中、不景気の風が吹きなんだかXmasが近づいて来ても、

こころウキウキしない感じですね!
 

 

昨年の「リーマン・ショック」以来

「デフレ・スパイラル」が起き

グルグル「メビウスの輪」の如く、

不景気が続いている感じがあります。

「デフレ」に入り物価が下がり、

買い物がし易くなると思いきや、

懐に入ってくる「現金」さえも「目減り」してきました。

まさしく「デフレ・スパイラル」です。

 

少しでも安いものを探し求め、経費を浮かし

家計の為と思って一生懸命頑張っていることが、

却って「自分の首」を締めている結果になってきています。

 

以前、「牛肉偽装事件」があった時、

偽装販売していた当事者が

「安いものにはそれなりの理由がある。

何にもなければ半額、3割引きなどの商品が店頭に並ぶわけがない。

正規の商品がそんなに安売りが出来るなら、

今までぼろ儲けをしていたことになる。

そんな訳が無い。

何かカラクリがあるから安くなる。

騙せれないように!」

 

 確かにそうでしょ!

正規品なら値段が下がるはずがない。

「牛丼」でも、

輸入肉で製品にならない俗に言う「クズ肉」、

サイコロステーキも「半端肉」を

成形してブロックに作り上げた「成形肉」

このようにカラクリがちゃんとあります。

 

確かに、

経費の見直し、

流通の改革、

中間業者を省き直接仕入れることによる

企業努力でのコストダウンなどあります。

 

しかし、

このコストダウンにより、

中間業者は売り上げが、

下がり倒産やリストラ、

メーカー側も経費節減、

リストラを行います。

それにより、

そこに関わる従業員の賃金カット、

リストラが起こります。

 

またまた、「安いモノ」に飛びつく事により、

自分たちの「給料」に響いてきます。

「主婦が家計のために、

安いモノを買い求めることにより、

旦那さんの首を絞める」事につながります。

 

この身近なところの

「デフレ・スパイラル」はとても恐ろしい事です。

 

これは、私たちの対人関係にも言えます。

本人も気づいていない、

何気ない行動、

発言が

相手に嫌な思いをさします。

相手も嫌な思いをしたので、当然やり返してきます。

また他の人を巻き込みながら、

「スパイラル」が大きくなることがあります。

 

ほんの小さな事が、

相手を傷つけ苦しめて、

廻るめぐって自分に返ってきます。

 

「天に唾する」が如く、

廻るめくって来ます。

’09 エレン・ワークショップのテーマ:恐怖からの解放

cocorotkn 2009年10月10日 by cocorotkn

もう間もなく、今年のエレンワークショップが始まります。

今年のテーマは「恐怖から解放」です。

ここ数年間、「恐怖」をテーマに行っています。

今年はその集大成として「恐怖を受け入れる」事を目指したいと思っています。
 
 

少し長いですが、読んでみて下さい。

 

Dancing from Fear to Freedom

 

今年の「Ellen Watson・ワークショップ」のテーマは「恐怖からの解放です」

私たちは「恐怖」と言う名のもとに、自分自身を見失っています。

自分の悲しみを表現する

自分の苦しみを表現する

自分の怒りを表現する

自分の喜びを表現する

自分の意見を発言する

自分らしい行動をする

自分らしく生きる

等を、「恐怖」と言う名のもとに、

押さえ込んでいます。

もし吐き出せば、「悪い子」になります。

嫌われるという事は、生きていけないからです。

幼い時に、たった二人(両親)の人に嫌われたくないが為に、

自分のこころを「封印」しました。

その結果が、現在の対人関係において「総ての人に嫌われたくない」と言う思いになっています。

嫌われないようにするために!

 

「自己評価セミナー」より

 

人は共生動物である。

人に受け入れられたいと思い、人から受け入れられない事に恐怖する。

又、人から存在を認められ、

愛されたいと思う。

そのためだったら、相手に屈従することまでしてしまう。

 

人は共生動物である。

 社会の規範からはずれると、恥ずかしくなる。

しかし、あらゆる社会の規範に完璧に従おうとしたら、何もできなくなる。

 

人は共生動物である。
    

他人の事が気になる。

しかし、いつも自分と他人とを比べて、

落ち込んだり、

優越感に浸っていたりしたら、

人間として成長できなくなる。

他の人を受け入れ、信頼し、許そう。人に優しくし、寛大になり、感謝の気持ちを持とう。

そうすれば「自己評価」はよくなる。

「自己評価」は愛を好むものだ。

そして、人々の中に居場所を見つけよう。

 

 人に受け入れられないことの危険

① 自分を受け入れなくなる:人から好きになってもらえないのに、どうして自分が好きになれるのか? 

② 自分に不利益な行動をとる:「攻撃的な行動、孤立する行動」を取り、

               自分の為にならない行動をとり、ますます受け入れられなくなる状況に陥る

③ 頭の働きが悪くなる:フリーズ

④ 感情に影響が出てくる:「悲しみ、怒り」などの強い感情が引き起こされ「屈辱、後悔恨み」など、

             ネガティブな感情が続く。長期間続くと、感情がすり減って「生ける屍」
   
 人から受け入れられない恐怖と闘う

     

人は「共生動物」である。

人は集団の中でしか生きられない。

「排除」されるという事は「死」を意味する。

それゆえに

「恐怖」という警報が鳴る。
    

「恐怖」を感じることにより、

人から受け入れられるように、

相手に合し自己評価を下げる。

私たちは「恐怖」をDNAの中に組み込んでいます。

ひとりになることへの「恐怖」を。

親に見捨てられる事への「恐怖」を。

親は、「恐怖」を使い、子供をコントロールします。

「どうして、親の言う事を聞かないの!」

「あなたなんか嫌いよ」

「もううちの子ではない」

「口ごたえばっかりして」

「こんなに愛情をそそいでいるのに、恩知らず」

「親を見捨てる気」etc

 

私たちは、「自分らしく生きる。今に生きる」事を目指すと「恐怖」を感じます。

カウンセリングの勉強を通して、

自分を見つめ直し、

頑なに閉ざしてきた「こころの鎧」を脱ぎ棄て、

自分らしく生きる事を求めて頑張ってきました。

しかしながら、

あと一歩という処までくると、

足踏みをしてしまい、

前に進む事を「良し」としなくなります。

一歩踏み出す事に「恐怖」を覚えます。

 

今回のワークを通して、

今まで飲み込んでいた感情を吐き出し、

こころの解放・自由を取り戻す事を「ムーヴメント・ダンスワーク」で行います。

Ellenのもとワークを進めていくうちに、少しずつ「感情」が湧いてきます。

「悲しみ、苦しみ、恨み、妬み、嫉妬、怒り」などが。

しかし、ある程度の感情が湧きあがってきた時に、

またその感情を抑え込もうと無意識に「こころ」が動きます。

「恐怖」が私たちを襲ってくるのです。

「親の影」と共に。

幼い時に植え込まれた「恐怖」甦らし、

「感情」を「鵜呑み」にしようとします。

ここで、踏み止まって欲しいのです。

今、ここにその恐怖は存在しないのです。

過去を思い出し、過去に捉われているだけなのです。

自分自身が、

過去に経験した事により、

体得してしまった「恐怖」に縛られています。

 

「今、ここに親は居ません」

幼い時の事を思い出し、

恐怖に慄いているのです。

自分で「恐怖」を産み出しているのです。

ここに「恐怖」は存在しません。

 

「恐怖」から逃げだせば、

「恐怖」は追いかけてきます。

どこまでも。

あなたが逃げる限り。

「恐怖」力を増大させて、

どこまでも追いかけてきます。

今、「恐怖」を産み出して、

感じて怯えているのはあなた自身です。

そのあなた自身を「あるがまま」受け入れましょう。

「恐怖」を感じている、自分自身を受け入れるのです。

「恐怖を感じているのが、今の私なのだ」と受け入れる事が出来た時、

「恐怖」から解放されます。

そして「恐怖」を受け入れた自分が産まれた時に

「恐怖」はあなたの「勇気」になり、

「希望」になります。

 

さあ、みんな勇気をもって

「想像の化け物:恐怖」に向き合いましょう。

そして「夢を希望を」手に入れましょう。

今回のワーク中にエレンは

「親や先祖に感謝をしよう。私たちは命を貰い生きている。生かされている」と皆んなに伝えるかもしれません。

確かに私たちは

「あらゆるものの命を貰い、生きています。親、先祖がいる事により、今の私たちが居る。」事に間違いはありません。

「命のリレー」があるからこそ、

「今の私」が居るのです。

親に感謝する事に、間違いはありません。

ネイティブ・アメリカンの考えと同じです。

しかし、私たちはその親により苦しんでいます。

その苦しめられている親に感謝、許す事は出来ません。

もし、そんな事をすれば又、自分の気持ちに嘘をつかなければなりません。

二重に苦しまなければなりません。

 

「許す事を許すなかれ」

本当に心の底から許す事が出来るならば、構いません。

出来ないならば、今は許す必要はありません。

親が悲しんでいる姿を見て、

許す必要はありません。

これも「恐怖」と同じ力を持っています。

正直に言って親も被害者です。

「親の親」からの。

しかし被害者が加害者になってはいけないのです。

親は、知らないうちに加害者になってします。

親も被害者なのに、

この度は子供から責められて、

二重の苦しみを味わいたくない故に、

子供を責めるのです。

「恐怖」を使えば、自分が責められずに済むからです。

決して、親は悪いものだけを私たちに送ったのではありません。

良い事も一杯送ってくれました。

良いものに対しては「感謝」しましょう。

但し「悪いもの」に関しては自分から排除して、

次の世代には「良いもの」を送っていきませんか!

今回Ellenが「親への感謝」を伝えてきた時には、このように解釈をしてください。

 

「恐怖」からの解放を目指すために

「今の私」を受け入れる事をワークでがんばりましょう。

みんなが仲間です。

決してあなたは「ひとり」ではありません。

信頼できる仲間が目の前に居ます。

「仲間」を信じて「恐怖」と向き合いましょう。

参加者は「恐怖を受け入れる」ために頑張ります。

 

「自分を取り戻す」ために!

成果を期待してください。

共依存

cocorotkn 2009年10月6日 by cocorotkn

間もなく、今年の「共依存とモラルハラスメント」のセミナーが終了します。

 

毎回、思うのですが

「自分自身が共依存者である」

「共依存予備軍」である事に、

気づいていない人が、とても多いという事に!

 

私たちは、何気ない気持ちで「共依存予備軍」を行っています。

「親切」「思いやり」等、言葉を美化してごまかしています!

私どものスタッフの中にも居るのですが、

生徒さんが「トイレをお借りしてもいいですか?」

(この表現も変ですよね!公の場所でトイレを借りていいか聞くのも?)

と尋ねられると、

「こちらですよ。」と言って

トイレの場所まで案内し、

時にはドアまで開け、

照明までつけるスタッフがいます。

 

おかしいと思いませんか?

もうこれは「共依存予備軍」です。

その人が、

自分で場所を探せない、

ドアを開ける事が出来ない、

照明をつける事が出来ない人ならば、

してあげる事も必要です。

問題ありません。

でも自分で出来る人に対し、そこまでする行為はどうでしょう?

逆に「おせっかい」「親切の押し売り」になります。

「自分を必要として貰えることにより、自分の存在感を感じる」これが共依存です。

 

人に親切にする、思いやりを持つ事は問題ではありません。

その行った行為に対して、認められないと腹が立つ事が問題です。

「ありがとう」「うれしい」「親切ね」の一言を期待したら!
 
「人に対する嗜癖(あるものを特に好む)」があります。

危険な匂いのする人、

頼りなげで母性本能くすぐるような男に

惹かれる人も要注意です。

 

健全な人は「自立した人」を好みます。

「共依存予備軍」は「自立した人」を好みません。

だって自分が世話を焼けないからです。

自分が必要とされる人を好みます。

 

文句を言いながらも、

家族の世話を一所懸命する親御さんもです。

現に文句を言いながら、家族に何もさせませんから!

家族が自分でしようとすると、

口癖として「もういいから私がやるから置いといて」を言います。

その癖「家族は何もしない。私ばかりが忙しい!」と嘆きます!

 

もうそろそろ、「共依存予備軍」を脱出しませんか?

性善説

cocorotkn 2009年9月8日 by cocorotkn

 

私たちは、

クライアントに対しては必ず

「性善説」

を前提にしてカウンセリングを行います。

それでないと「信頼関係」は生まれてきません。

たとえ「うそ」があっても、

それは「こころの傷」が言わせているとして捉えます。

もともと「性悪」の人間など、居ないと思います。

生活環境の中で、

生きていくために、

傷付かないようにするために

身につけてしまった

「性格」と言ってもいいかもしれません。

 

 
悩みを抱えて来られる生徒さん達は、

特に「性善」です。

 

真面目故に、

傷つき、

裏切られ、

苦しみ、

悲しみ、

悩みます。

 

「相手を傷付ける位ならば、

自分が傷つく方がいい。」と思うぐらいの人たちです。

 

優しすぎる位です。

優しさ故に、傷つき易いのです。

 

少しぐらい、自分の為にわがままを言っていいいのですが?

難しいのが現実です。

いっぱい裏切られ、

騙され、

傷ついています。

傷ついても、傷ついても、

相手に嫌われないように

「いい人」を演じ続けます。

とても悲しいことです。

 

しかしながら、

これだけ傷つき苦しんでいる人が、

本人も気づいていなところで、

人を裏切り、

傷つけている事に、気づいていない時があります。

 

以前にも書き込みましたが、

「自分にとって、怖い人、ひけめを感じる人、委縮する人」には、

一生懸命嫌われないように尽くします。

約束事にも一生懸命守ります。

自分の事を犠牲にしてでも!

傍目から見ても、大変なぐらいに!

 

ところが

「自分にとって優しい人、

許してくれる人、

かばってくれる人、

守ってくれる人」には、

わがままです。

約束も平気で破ります。

 

「許してくれる」と、甘えています。

 

「仏の顔も二度三度」です。

初めは許してくれて、大目に見てくれても、優しい人も人間です。

裏切られれば傷つきます。

傷つきたくないので、

その人の事を信用しなくなります。

そして相手にしなくなります。

 

私たちは、知らない間に「敵」を作り出しています。

私の学校でも起きます。

生徒さんとの間で、「約束事」を決める事があります。

シッカリ守る生徒さんの方が大多数ですが、

ときに約束を破る生徒さんが居られます。

電話一本、

メール一本入れるだけで、

事情が分かり、

その前後策が、

生徒さんと共に打てるのですが(気持ちよく)、

勝手に自分に都合の良い解釈をして、約束事を破ります。

 

私たちは、「約束事」をその人が破っても、一切責めません。

その人たちの「自己責任」「自己成長」を願っていますので、その人の判断を重要視します。

約束を破ったことを伝えると、

もともと善良な人ですから「謝り」行動を変化させていかれますが、

この状態では成長がありません。

自分で気づいて、

行動を起こし、

責任を取る事が大切なのです。

約束を破ったままでしたら、

今度何かあった時に、TKNの方に来ずらくなります。

 

もともと人は「善人」です。

約束を破るから、

「ルール」が必要になります。

「ルール」があるから、

生き辛くなります。

この悪循環を断ち切りませんか!

信用してくれる人を「裏切らない」!
実行しましょう!

弱音を吐こう!

cocorotkn 2009年8月6日 by cocorotkn

皆さん、「弱音を吐きませんか!」

みんな頑張っています!一生懸命!

 

自分らしく生きるためにに。

でも、そのためにトラブルも起きます。

対人関係を

傷つけ、

苦しい想い、

悲しい想い、

寂しい想い、

腹立たしい想い、

いろいろ味わいます。

 

 
こんな気持ちを感じたくない!

そんな思いから「良い人」を演じ続けます。

自分らしい感情を感情を呑み込み、

必死になって我慢します。

 

 

「嫌われたくない病」から、グッと我慢します。

自分を殺して!

「いい人」で居れば、嫌われなくて済みます。

期待に応えるように頑張ります。

「弱音」をぐっと堪えて我慢します。

「弱音」を吐けば、嫌われます。

「悪い子」になります。

 

でも、イイじゃないですか!

皆散々、頑張ったんですから!

おおいに「弱音」を吐きましょうよ!

頑張って、頑張って頑張ったんだから!

人間はそんなに強いものではありません。

弱い生き物です。

無理をして、我慢して、自分の気持ちに「嘘」をつき続けると、

 

  「こころ」が壊れます。
 

 

壊れてからでは遅すぎます。

ボキッと折れてからでは!

「怖い」

「淋しい」

「悲しい」

「辛い」

「逃げたい」

「情けない」

「泣きたい」・・・・・一杯あります。

 

おおいに「弱音」を吐きましょう!

 

 

あなたは「スーパーマン」ではないのです。

生身の身体の、生身の心の持ち主なのです。

 弱音を吐くのは、恥ずかしい事ではありません!

   悩んだ分だけ人をを成長させます。
   

   苦しんだ分だけ人を磨きます。

   悲しんだ分だけ人を魅力的にします。
 
   弱音を吐いた分だけ、人を大きくさせます。

弱音を吐いてスッキリさして、

また一歩づつ歩いて行きましょう!

自分自身のペースで! 

自分のリズムで! 

自分らしく!

嫌われたくない病

cocorotkn 2009年6月30日 by cocorotkn

 以前から、「とうとのひとりごと」の中でも取り上げてきた事ではありますが、

この「嫌われたくない病」は厄介なものです。

 

原点は、「親に対する嫌われたくない病」です。

「親にとって良い子」でないと愛して貰えないので、

親の顔色を見ながら日々努力を重ねてきた結果が、

現在の対人生活に影響を与えているのです。と、言う事は、

両親に嫌われたくないが為に、

行なってきた切ない行動です。

だから両親という、二人が対象になる筈です。

しかし、いつの間にやら

両親に似たタイプにも、同じ反応を起こすようになっていきます。

そして、そのタイプが広がっていき、

やがて総ての人に対して「嫌われたくない病」を発症しているようです。

 

「100人いれば100人とも」好かれたい!

嫌われたくない!と言う思いが強くなり、

ひとりでも嫌われたら

「もう私はすべての人に嫌われている」と言う思いに変化していきます。
 

 

そんな無茶な事をしてどうするのですか?

総ての人に好かれることなど、不可能です。

嫌う人がいて当たり前なのです。

一人でも嫌われる事は、

自分の総てを否定されることに、

思いこむ人が多く居られます。

嫌った人は、その人の価値観で「嫌った」だけです。

総ての人が自分自身を否定したのではないのです。

 

初めは、たったひとり(二人の場合も)から

「嫌われたくない」だけだったのに、

それがいつの間にやら

「総ての人に嫌われたくない」に置き換えられてしまっています。

 

この世の中には

「好きな人」も居れば、

「嫌いな人」も居ます。

当たり前です。

 

あなた自身も区別していませんか?

みんなお互い様です。

「好きな人も居れば、嫌いな人も居る」それでいいのです。

 

ご普通の感情ですから!

恐怖の壁

cocorotkn 2009年4月22日 by cocorotkn

「恐怖の壁」

いつもこの壁に悩まされます!

 

昨日も「箱庭療法セミナー」の時に顔を出してきました。

セミナー中、生徒達をリードする役の「トレーナー」達が固まってしまいました。

セミナーが進まずに、右往左往しているのです。

箱庭を見ると、素直に表現していました。

「箱庭物語」に関してもクライアント役の生徒は、

素直に物語に自分自身を表現していました。

何も迷うことなく、

進めて行き求めれば良い状況なのに、

みんなで手をこまねいているのです。

 

箱庭上級クラスが最後の日だったので、

気持ちよく終わってもらい、

次に繋がるように修めて欲しかったのですが、思うように行きません。

 

 後ろから、「箱庭物語」の解析のヒントを与え、

箱庭の動かし方の助言を示すのですが、

トンチンカンをします。

挙句の果ては、逆方向に導いて行こうとする状態でした。

長引かす訳も行かないので、

途中から指示を出して介入をし収めました。

 

セミナー後、

トレイナー達へのフィードバックの時間に

「何故、逆方向にピースを動かしたのか?」

「違和感を感じなかったか?」

「誰も修正をなぜしないのか?」など訊ねました。

「違和感は感じたけれど、怖くて修正が出来なかった。」

「自分が思った方向に導いて、間違っていたらだめだから、何も出来なかった。

生徒さんにも、担当トレイナーに対しても。」等。

 

みんな「失敗」を恐れていました。

心の奥底に
「失敗はしてはいけない。

する子は悪い子。

悪い子は愛してもらえない。

愛してもらえないという事は、生きていけない。

だから失敗は駄目!

失敗しないようにするには、何もしない事。

何もしないと失敗もしない!

失敗をしないと、怒られないからいい事なのだ!」

という暗黙のルールが存在するのです。

 

こんな事を繰り返していたら、

「新しい事にチャレンジはしません」

失敗を恐れるからです。

 

又、相手に反論(異論)をする事は、

相手の顔をつぶす事になる。

だから、異論があっても相手に何も言わない。

これを「優しさ。思いやり」と言う

言葉にカモフラージュさせています。

 

これは、優しさでもありません。

思いやりでもありません。

「偽善」です。

 

「傷つきたくない」から「いい人で居たい」からの思いからです。

「傷つきたくない病」とても深刻な病気です。

 

幼い時から、いろいろと刷り込まれた経験から、

身を守るために覚えた「果敢無い」防衛手段なのです。
 

 

今現実に起きていない「恐怖」に怯えています。

思い込みによる「恐怖」に怯えています。

「今、恐怖に怯えている自分自身」を、

受け入れる事が出来た時、
 

 

恐怖は目の前から消えされます。
 

 

いかに受け入れるか! 

 

これからの課題です!

権利と義務

cocorotkn 2009年4月7日 by cocorotkn

「権利と義務」

 

まるで「卵が先か鶏が先か!」みたいなものかもしれません?

「権利が手に入るならば、義務を果たす」

「義務を果たしたので、権利を要求する」

どちらがいいのでしょう?

 

今の時代「権利」を要求する人たちが多いようです。

今ならば、

「仕事を与えろ。

普通のの生活が出来るように、仕事をよこせ。

そうすれば私は働ける。

仕事を与えない相手が悪い。

私を働けるようにしない、世の中が悪い。

政治が悪い。」と、思っている人たちも多いかも知れません。

 

こころの世界でも、よく見かけます。

「私の事を分かれ」

「私を受け入れろ」

「私の思うようになれ」

「私が気持ちよく出来るようになれ」

「そうすれば私はあなたを受け入れてもいいよ」と訴える人がいます。

仕事場で、友人関係で(すべて対人関係ですが)、

「みんな私の事を悪者にする。

私ばかりに文句を言う。

よってたかって私をいじめる。

私が何をしたというのよ。

私は仕事をちゃんとしている。

誰からも文句をつけられることはない。

私は正しい。」と言って、

対人関係を悪化させている人たちがいます。

 

確かに、謂れの無いようなことを言われ、

罪をなすりつけられ、

いじめられ方が大半だと思います。

しかし、よく考えてみると、

「私は何も悪くない。

相手が悪い。

相手が変われば私は幸せになる。

私が幸せになるように変わって当たり前だ。」と権利だけを要求している事があります。

自分自身に改善すべき点はないのか?

 

朝、出勤した時挨拶をされても

「ブスッ」とした態度をとっていませんでしたか?

日常の仕事を指示された時、

嫌な顔をしていませんでしたか?

同僚と、程々のコミュニケーションを図っていましたか?

相手に要求するばかりではなく、

自らが変わる事を目指しませんか!
 

 

「鏡の如し」です。

「悪口」を送れば「悪口」が返ってきます。

「悪口」を言われたからと言って、

相手の「悪口」を言えば同じことになります。

悪口を言っている自分自身が、そこに居るのですから。

悪循環です。

 

「笑顔」を向ければ「笑顔」が返ってきます。

朝、元気な声で「おはようございます。」と言えば、

返事が返ってきます。

初めは、嫌な顔をされるかもしれません。

でも、黙って暗くなっているよりはるかにいいです。

挨拶している自分が「スッキリ」します。

そして元気な挨拶が返ってくると、

もっと清々しい元気が湧いてきます。

自分の為に行うのです。

自分自身が元気に幸せになるために!

 

相手が変わる事を求めていても意味がありません。(権利を求める)

自分自身が変わることの方がはるかに得です。(義務を果たす)
 

相手を変えることなどできません。

自分が変わり接し方が変われば、

相手の反応が変わり、

返ってくるものが変わります。

「悪口」を送れば「悪口」が返ってきます。

「幸せ」を送れば「幸せ」が返ってきます。

ブーメランのように!

 

今日から、「笑顔で挨拶」から始めませんか!

 「笑顔には笑顔」が返ってきます!

身の上話③ 顔色を見る

cocorotkn 2009年2月4日 by cocorotkn

昨日は特別にお休みを貰い、

久しぶりに夫婦で映画に行ってきました。

 夫婦割引:片方が50歳を超えていたら、ひとり1,000円で見れます!

 

「マンマ・ミィアー」

久しぶりに、単純に笑い、泣き、楽しめた映画でした。

ギリシャのきれいな海、

自然の中で歌い踊るミュージカルに堪能してきました。

映画の内容が、どうのこうのと批評するより、

ただ何も考えずに楽しめた事で、スッキリしました。

思わずCDまで買ってしまいました!

 

昨日は節分で、豆まきをしてそのまま、静かに終わるはずでした。

が、下の娘が又、風邪をひいてしまい早く寝ささなければならないのに、

テレビを見ながらダラダラしていたので、

少し語気を強めて「早くしろ」と言って寝さしました。

そのとばっちりが上の娘に行ってしまい、

今日から1時間勉強をする?

(普段は全然していません!)と言っていたそうなのですが、

ダラダラしていたので

「そんなことしていたら、9時からの見たいドラマが見れないぞ、

お風呂が遅くなるぞ、時間の段取りを考えろ。」と言ったら、

ドラマも観ずに、勉強を始めました。

 

私の意図が伝わらなかったようです。

何か、気まずい空気が流れました!

怒られたと取ったのか、

拗ねたのか!

 

私は、小さい頃から「相手の顔色」を見る癖が、しっかり付いています。

常に「いい子」で居なければ成らなかったからです。

絶対に悪い子ではいけないのです。

家の中でも、学校でも、近所でも、どこでも!

特に母親に対しては、

「大好きな母親には嫌われないように!」がありました。

母親は、昔から身体が弱く常に構われる存在でした。

母親の機嫌を損なう事は悪い事でした。

身体が弱いせいもあって、ヒステリックを起こせば寝込んでしまう癖がありました。

母親が寝込んでしまうという事は、子供の私にとってはとても淋しいことです。

構ってもらえません。

そのお陰で、母親が嫌な気分になりヒステリックを起こし、寝込まないように

母親の「顔色」見る癖がつきました。

以前も書きましたように、

朝、起こしてくれる時に母親の声ではなく、

父親の声の時は兄弟が顔を見合せ

「今日は静かにしておくのだぞ!

母親に手間を掛けさせてはいけないぞ!

機嫌を悪くさす事をしてはいけないぞ!

わがままを言ってはいけないぞ!

母親が機嫌よく落ち着くようになるまで、おとなしくしている事。

母親の機嫌を取れ!」

が暗黙の了解です。

 

母親の声のトーン、

顔の表情、

イラツキ、

行動に神経をとがらせていました。

母親がヒステリックを起こし、

寝込んでしまえば総ての事が台無しになってしまいます。

とても寂しく辛いことです。

 

そのために、「相手の顔色を見て、相手が機嫌よくなるようにする。」とてもうまくなりました。

自然に反応するようになっていました。

そうすることが自分の安定になるからです。

「自分さえ我慢すれば、相手は優しい。それが幸せだ!」と思い込んでいました。

それが生きていく術だったのです。

 

 

この癖から解放されるために、苦労をしました。

「もう、ひとの顔色に一喜一憂しない!」と

「自分の気持ちに正直になる!」という事に!

 

しかし、今の家族の中でも、

「顔色を見ている自分」が居ました。染みついているのですね!

子どもたちがした悪いことに対し、

注意をして何故悪いかを説きます。

しかしこの事は、子供たちにとっては「説教」にしか映りません。

子どもたちの顔が暗くなり、

時には「すねている」ようにも映ります。

この空気が私は一番いやなのです。

母親との関係をよみがえさせられるので!

思わず、子供たちが笑顔になるように行動をしていました。

 

「私が悪いわけではないのに、

なぜ私が罪悪感を感じなければならないのか!

子供たちが悪い事に気づき、

自分たちから態度を変え無くてはいけない。

私は何時もと変わらない、

同じ態度を取っているだけだ。

相手に対して、思いやりを持てるように(子どもたちはこの部分は弱いので!)」

という葛藤にいつもなっていました。

ある時、

「このやり方では、昔の私と同じことになるのではないか?

子供たちが親の機嫌を取ることになるのではないか!」
  

 

やめました!

この考え方を!

子供が、笑顔で毎日を過ごせるように、

私が対応する事にしました。

子供が気付くようでは、私の二の舞いです。

いつの日かこの事が、子供たちなりに気づくことを信じて!

 

子どもたちの笑顔が一番です!

明日も、笑顔で学校に送り出せるように!

 

余談ですが「顔色を見る」この癖が、今とても役立っています。

生徒たちの様子がよく分かります。

ドアを開けて教室に入ってきた様子、

挨拶の声で生徒たちの様子がよく分かります。

元気か、

調子悪いか、

悩みにぶつかっているか、

などよく分かるようになりました。

 

この事だけは、親に感謝をすべきですかね!

この頃「顔色を見る」ことに対して、

罪悪感をあまり感じなくなりました。

「肯定も否定もしない」ようにしていると、気持ちが楽になりました。

拘っていた自分が少し滑稽に見えます!

おはよう!:コミュニケーションの始まり

cocorotkn 2009年1月27日 by cocorotkn

朝起きて、リビングに入った時家族に対して

「おはよう!」と出来るだけ大きな声で、はっきりと言います。

 

 以前は、子供たちが自然に

「おはよう」と大きな声で言ってくれることを期待して、降りてきました。

ところが、子供たちは寝起きで眠むたいせいもあるし、

服を着替えながらテレビを見ているおかげで、

ボサッと「おはよう」と言う声が聞こえるだけでした。

元気よく「おはよう!」と言ってくれるのを期待していました。

 

朝、家を出て近所の人の姿を見かけ、

顔が合えば挨拶をしていました。

逆に目を合わせなければ、

挨拶をせずに通り過ぎていました。

 

ある時、

近所の人が他所を見てこちらに、気づいていなかったので、

あえてしっかりした声で「おはようございます!」と挨拶をしました。

すると、その人もすぐに振り返り大きなしっかりした声で

「おはようございます!」と返してくれました。

そして通り過ぎるわずかな時間で、

ほんのあいさつ程度の世間話をしながら過ぎていきます。

 

しかし、この後がなんとも言えない、心地よさが残りました。

何となく、こころが爽やかに元気になっている、私自身がありました。

一杯元気をもらった気がしました。

 

今までは、子供に対し挨拶をしたのだから、

挨拶をしっかりしろよと言う思いがありました。

どこかで、見返りを(そんな大げさなものではありませんが)求めていたようです。

 

それからは、毎日しっかりと「おはよう!」を言います。

何かそれだけで自分がスッキリします。

その上家族から返事があれば、もっと元気になります。

今は、自分の為にも「おはよう」と言っています。

子供たちの返事に元気がなくても!

そのうちに、家族全員が朝、

元気にあいさつできて、気持ちの良い「スタート」が出来ればと思っています。

 

思春期に近づいている上の娘は、難しいだろうな!

でもともかく、「おはよう!」と言い続けます。

 

皆さんもしっかりした声で「おはよう!」と言いませんか?