愛され方(ボディー・ブロー):家族の因果
カウンセリングしている時や、
自分自身を気づく講座をしている時に、こんな言葉を聴くときがあります。
「私は両親に充分に愛されていた。」と。
しかし、充分に愛情を貰っていたら、
自分自身を見失い、
悩み苦しむ事はないはずです。
おかしい事です。
その人の生育歴をじっくり聴いていくと、そのからくりが見えてきます。
例えば、
「私がこんな事をしたとき、両親は笑顔で褒めてくれました。」
「両親が自営をしていたので、普段はおばぁチャンの所で遊んでいました。
すると両親は、ありがと、偉いね。と笑顔で褒めてくれました。」
と、言う話しを聴きます。
しかしこれって、子供にとって嬉しい事でしょうか?
結構、
「親が喜んでいる」姿を
「私は愛されている。」
置き換えている場合が多いのです。
「親が喜んでいる姿=私は愛されている。」
「親が怒っている、悲しんでいる姿=私は愛されていない。」と、刷り込まれています。
子供は知らないうちに、親に愛されるために親の喜ぶ事をしていきます。
先程の生徒さんに
「あなたが褒めて欲しい時に、
両親は褒めてくれましたか、
笑顔でしたか?」と、問いかけると、
「なかった!」と寂しげに答えます。
本人は充分愛情を貰っているつもりでも、
現実は愛情を貰っていない事が多いです。
愛情を貰っているつもりだけに厄介です!
おかげで本人は愛情欠乏症とは思っていません。
気づいていない分だけ、求めようとしません。
逆に求める事に「罪悪感=親への裏切り」を感じる人もいます。
この方法は、ボクシングで言う「ボディーブロー」です。
ボディーを攻めて、相手に気づかせないようにダメージを与えます。
気づいたときにはもう手遅れです。
なまじ、ストレートパンチで、
しっかり愛情欠乏症のダメージを与えられる方が、
はっきり自覚できます。
この様な人は、この方法が子供に愛情を与える方法と信じていますので、
同じ育て方をします。
「私は愛されている、だからこの方法で子供を愛する。」
知らないうちに「因果」が繰り返されます。