大停電:無くなり始めて気付く
今週火曜日、朝の11時ごろに学校が停電になりました。
布施校時代は、夏場よくあった事でしたので
「あっブレーカーが飛んだ。」と一瞬思いました。
でもここは難波本校、
10階建ての新しいビルでそんな事がある理由はないと思い、
部屋から出るとビル全体が停電です。
エレベーターは停まっているし、
パーキングタワーも停まっていました。
外の様子を見ると、この地区一帯が停電のようです。
交通信号まで停電でした。
スグに警察が来て交通整理をしていましたが、
徐行運転もしないで突っ走るドライバーもいました。怖いです。
そのうちに上空をヘリコプターは飛ぶし、
どうなるのかな?
いつまで続くのか?
もしこのまま復旧が遅れて、
昼クラスの講座に間に合わなかったらどうしよう?
生徒に連絡を入れなければ、ならないなぁと思っていました。
今日は臨時休講。やったー!ダメダメ、
子供ではありません。
でも、電話をする事もできないのです。
今の電話は、停電になると繋がりません。
昔の電話は電話ジャックにだけ差し込めば、繋がりました。
メールを送るにもパソコンが動かない。
手書き資料から連絡先を調べて、家の方から連絡を入れようかと思えば、
携帯のバッテリーが減ってきている。(あジャ~)部屋は非常灯だけで暗くて何も出来ない。
もちろんパソコン作業も出来ません。
トイレに行けば、自動センサーの為に水も流れない。
総てお手上げでした。
幸いにも30分程で回復したので、何も問題なく落ち着きました。(ホッ!)
私達は知らない間に、「電気」に頼りすぎていたようです。
あって当たり前との思いで、
頭では理解していても実感としては理解していませんでした。
「無くなって初めて分かる、有り難さ」を今回は、思い出さしてくれました。
日常生活の中、
普通に食事が出来、
仕事(学校)に行き、
遊び、
寝る事、
人との思いやり、
優しさ、
等、当たり前と思っている事がとても多いような気がします。
決して、人はひとりで生きていけません。
誰かと触れ合いながら、助け合いながら生きています。
というよりも「生かされている」といった方が正しいかも知れません。
そんな事を、思い出された事件でした。