がんばろ!:共感
東日本大震災で多くの方々が、辛い日々をおくられて居られます。
一も早く避難所からせめて、
プライベートの守られる空間のある
住居に移れる事を願っています。
カウンセラーのテーマとして
「受容と共感」が在ります。
その内の、「共感」と「同情」の違い!
TVでも報じられていましたが
「被災された方々に、何と声を掛けられますか?」と言う問題があります。
本当に何と声を掛ければよいのか、
言葉になりません。
何も言えないのが現実だと思います。
何を言っても傷つけるように思えて!
特に「頑張ろう!」と言う
言葉が一番良くないと言われます。
「歯を喰いしばって、
耐えて、
頑張っているのに、
まだ頑張れと言うのか!」と
言われる思いがあるからです。
でもそんなに悪い言葉でしょうか?
私は講座の中で、
「頑張ろう」も時と場合によってはOKと言っています。
と言うのも、
単に「頑張ろう」は「同情」にしか成りません。
「同情」は言う側の
「自己満足」にしかならないからです。
同情は時には、相手の心を傷つけることが在ります。
私共の講座で
「アクティブリスニング:聴き方訓練」が在ります。
この講座の中で
「人の話を聴く時にしてはいけない、12の障害」が在りま。
その中に「同情」が含まれています。
優しいようで、かえって傷つけることが在ります。
時には相手を見下している事が在ります。
自分はその経験をしていても、
もうそこから立ち直り安全圏に居り
「あなたは今辛いのですね。」と言う思いが、
何処かにあります。
同情では、
「いくらこの辛い思いを解ってくれても、
あなた達は家へ帰れば、
ごく普通の日常生活が在るじゃないか!
私たちには無い!」と言う思いが
メッセージとして帰ってきます。
しかし、「同情」では無く
「共感」ならば意味が変わります。
その人の気持ちを汲み、
如何に感じ取るかです。
その人と同じ経験をしても、
同じ感情にはなれません。
その人によって感じ方、
捉え方が違うからです。
「同じ感情を抱いた」と思う事に、
当事者とのズレが生じます。
それよりは「as if」
あたかも我が身に起きた如く感じ。が大切です。
私たちに同じ被災体験はできません。
でも、
「私が、
一瞬に家を壊され、
仕事を失い、
愛する家族を奪われたら、
またその家族を救えなかったら、
どんな気持ちになるか!」と、
少しでも感じ取ることが出来ればどうでしょう!
そこに発せられる言葉には、
思いが変わってきます。
被災者の気持ちが「共感」出来て、
心の奥底から湧きあがってくる
「がんばろぅ」という言葉が発せられても、
届く気持ちは変わるかと思います。
「あッ 私の気持ちを分かってくれた!」と言う思いが
感じ取って貰えるのではないでしょうか?
私たちは、その人自身になる事はできません。
しかしその人の傍に立ち
「共に感じる」事は出来ます。
「共感」の大切さを、
今、強く感じます!