TKN心理サロンブログ:父親として「永遠の0」
今話題の映画「永遠の0」は、まだ観れていません。
子供の受験などで、
スケジュールが合わずこのままでは、
観損ねてしまう可能性おおいにあります。
又、ビデオ鑑賞になりそうです。
そこで、文庫本を読みました。
映画を先に観るか、本を先に読むか?難しいところです。
本を先に読むと、
あらすじが分かってしまい、
映画の先読みをしてしまいます。
当然、原作を映画のあらすじとのズレが出てしまい、不完全燃焼になりがちです。
原作を読み、私なりの思い入れで「ストーリ構成」が出来てしまい、
期待通りにあらすじが展開せず「何で!」という思いがよくあります。
当たり前です。
私は映画監督でもないし、
脚本家でもないのですから、
原作から監督が思い描いた世界が映画になるのですからね。
映画では、どの様に描かれているか分かりませんが、
主人公の「宮部」さんの、
思い出や証言を聴きまわっている処で、
「家族の元に帰る事です。」の言葉の意味が問われています。
『「家族」というものが、「男が守るべきもの」だ』。
『戦争が終わって復員して所帯を持って、
そして子供が出来て初めて、
自分の人生が自分だけのものでない事を知った。
男にとって「家族」とは、全身で背負うものだと言う事を知った。』
主人公が、「生きて家族の元に帰る」事に執着していた事の、大きな理由の一つのようでした。
「男とは」と、言う気はありませんが、
家族全体の向上をさせる環境を作る為に、
家族を理解し、成長を進める機会と環境作りをいし、
一人の指導者が、
家族対し、
どの様な課題を行い、
報酬や罪を決定し、
子供のとって見本となる重要な人物。
そして、責任を逃れる余地のない立場の人。
それが「父親」(家によっては、母親でもかまいませんよ)
(この部分は「専科講座:エリクソンで伝えている処です。)
だからこそ、生きて「家族の元へ帰る」
原作には、もっと色んな意味が含まれていると思います。
私自身、家族に対してその「責任」があります。再確認をしました。
原作を読んで、色々と考えさせられました、感激した部分も多々ありますが、この部分に心惹かれました。