TKN心理サロンブログ:捕鯨禁止 クジラは観るもの?食べるもの?
今週初め「調査捕鯨禁止」が決まったようですね。
国際司法裁判所で国際条約に違反するとの事で。
難しい問題ですね。
自然保護など色々な問題点がありますね。
知能のある動物だから、
食料として捕獲するのは残酷である。
とか色々と議論がありますよね。
ホォエールウォッチング等、世界中で「癒し」として捉えたりしていますね。
数年前、エサレンへ行っている時に偶然「クジラ」に遭遇しましました。
沖合を泳いでいました。
潮を吹きながら。
丁度、風呂場からでしたが、
外人さん達は歓声を上げて、興奮していました。
「クジラ」です。
と言うのが私の実感でした。
今年のホリホック研修でもLuciaから「ホォエールウォッチング」に誘われています。
でも、あまり興味がありません。
傍で観る事が出来れば、
感動は素晴らしいものがあると思いますが、
今ひとつピンとこないのです。
その理由は、賛否両論、色々な意見があるとは思いますが
私のとってはクジラは「観るもの」ではなく
「食べるもの」なのです。
こんなことを言えば、バッシングされるでしょうね。
「肉」は高級品、
代用品が「クジラ」です。
市場の中に「クジラの肉屋さん」が在った位です。
学校給食にも出てきました。
そして、栄養補助として「肝油」を学校で食べていました。(当然その当時ですので、クジラです。)
子供の頃にそんな食生活をしていますので、
日常生活の中に溶け込んでいました。
無駄に捨てる処の無いものでした。
ですので、私のとってはクジラは「食べるもの」です。
でも今となっては、
無ければ困る食べ物でもありません。
何十年も食べて居ません。
しかし、食文化としても染み付いていますので、
「捕獲禁止」と言われると、
何と無く違和感が有ります。
ここまで、個体数を減らしてしまったのは、
クジラの油を採る為に乱獲をした。
という説が有ります。
その時代はクジラの油が「灯り」であり、
「燃料」だったらしいです。
結果、油以外は捨てていたそうです。
それが石油にとって代わったので、
クジラの油は必要に出なくなった。
そして、一転「クジラは知能が在るから保護すべき。食糧にするのは残酷である。」
ペリーが浦賀に現れ「開国」を迫ったのも、
捕鯨の中継基地が必要がだからだとも、言われているそうです。
人間が自分たちの都合で乱獲して、
絶滅してしまう権利はありません。
その意味では保護すべきです。
食べなくても、他の食料品が有りますので捕鯨をしなくても問題は無いとは思います。
捕鯨産業を守るだけならば、禁止すればいいでしょが?
この問題には、私は答えが出せません。
クジラを食べていた時代に生きていた、
60歳を迎える私だからこそ感じる違和感でしょうね?
ジェネレーションギャップです!
ちなみに、大阪の育ちの私にとって「肉」いえば「牛肉」が、当たり前です。