TKNブログ:絶歌セミナー後「死」について
「絶歌セミナー」の時の課題で、
「人はなぜ人を殺してはいけないのか?」、がありました。
「蟻やゴキブリを殺しても誰も怒らへんのに、
人間の命だけが尊いんですか?
人間を殺すのがそないに悪い事なんですか?」
人の命と、他の生物の命を比べる事は出来ません。
当たり前です。誰が考えても。
でも、これは「大人の考え」。
そして「常識」として当たり前に捉えています。
しかし、
子供が問掛けてきたら、何と答えればいいのでしょうか?
でも、本当に違いがあるのでしょうか?
ブッタの教えの中で(正確な表現ではありませんが)
「魂、生命は皆同じ、違いは無い。
その魂、生命が、人の身体に入り人となり、
動物には入れば、その動物になる。
昆虫も同じ。」とい話があります。
貴方の魂、命をゴキブリに入れれば、貴方はゴキブリになる。
ゴキブリは殺していい。
ならば、先程の元少年Aの小学生の頃の問いかけに、
誰も、言い返す事が出来ません。
でも、人を殺してはいけません。
また、死ぬように追いこんでもいけません。
動物と人間の違い。
「大脳生理学」から言えば、
新皮質=スーパーエゴ=「理性」を人間は持っているからです。
動物には、スーパーエゴが発達していない分、
旧皮質=イド=「本能」だけで生きています。
お腹が空いたから、「エサ」を取ります。
領域を侵されるので、戦い、追い返します。
同種族同士の殺し合いはしません。
でも、人間だけは「理性」を持っています。
未だに、人間同士の殺し合いをし、
お腹も空かないのに、ハンティングをし、その肉を捨てます。(食べ残し)
人間は「矛盾」した、考えを持っています。
ひとり殺せば、「殺人者」
100人殺せば「英雄」です。戦争に於いて。
その英雄も「戦勝国」の立場です。
「敗戦国」になれば「戦争犯罪者」になります。
何か変です。矛盾しています。
矛盾している人間ですから、ルールが必要になるのです。
「人は殺してはいけない」
でないと、矛盾した考え方で、人を殺してしまう可能性があるのです。
自分の思い道理にならない。
それは敵。
敵は殺していい!と、成らない為にも。
そして、人間は「非弱」です。ひとりでは生きていけません。
狩りをするにも、大きい動物には負けます。だから、仲間と協力し合って狩りをします。
原始時代から。
農耕民族も、ひとりでは収穫が僅かです。
皆が助け合って、大きな収穫に結びつきます。
仲間同士が殺し合い、助け合う仲間が少なくなれば、生きていけないのです。
だからこそ
「人は人を殺してはいけない」と、言う考えが出来上がっていったのでは、
という、私なりの結論です。
無理やりの、こじ付けでも在ります。
「どうしていけないのかは、分かりません。
でも、絶対に、絶対にしないでください。
もし、やったら、あなたが想像しているよりずっと、
あなた自身が苦しむことになるからです」
元少年Aの、言葉の方が、子供達には納得して貰えるかもしれません。
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