所長のカウンセリングアドバイス:カウンセリング「罪を憎んで人は憎まず」
「罪を憎んで人を憎まず」
犯した罪は憎むべきだが、
その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、
罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教えです。
カウンセリングの場面でも同じ事が言えます。
クライエントは、諸事情でいろいろな問題が起き
悩み苦しんでいます。被害者です。
でも、よくよく話を聴いていると、
クライエントの「身から出た錆」の場合もあります。
例えば、クライエントが浮気をして
その結果、家庭が破綻した。
奥さんからは拒絶され、
子供たちからも相手にされず
その上、浮気相手も去って行った。
「私はひとりで淋しい。辛い。苦しい。」と訴えます。
クライエントは、本当に苦しんでいますが
問題を起こしたのは、クライエント本人なのです。
クライエントが家庭を破綻させ、
家族を苦しめている、加害者なのです。
それなのに、被害者顔をします。
虫が好すぎますが、
ここは「罪を憎んで人を憎まず」です。
何も好きこのんで、家庭を破綻さしてまで
浮気をしたわけでもありません。
こころの中の「欠損」が起こしたのです。
生育歴の中に組み込まれた「愛情欠乏症」が起こしたのです。
愛情の修復方を間違ったのです。
本来は、夫婦の中で「愛情の再構築」を行なうべきだったのに
浮気という、自分にとって都合の良い方法で埋めようとしたのです。
違う角度から見ると、
幼い時に、両親から愛情を充分に貰えなかった
(但し、子供本位ですよ!)
被害者ではあるのです。
会社では、
みんなが、私を仲間外れにして、無視をする。
私には居場所がない。
みんなが私に辛くあたる。
苦しい。淋しい。辛い。
毎日針のむしろです。と訴えるクライエントも
自己中に振る舞い
周りの人に迷惑を掛け、
気がつけば、誰もそばに居ない状況に
追い込んでいることに気づいていない場合も同じです。
誰もが、嫌われて生きたくありません。
仲良く楽しく暮らしたいのです。
でも、幼いときの環境が、
クライエントを創り上げたのです。
カウンセラーは、この原因を見つけ
カウンセリングを行ないます。
今、咲いている「悩みの花」に囚われることなく
「悩みの花」を咲かしている「根っこ」見つけ
処理することを目指します。
「罪を憎んで人を憎まず」です。