

「囚われ」からの脱却!
みなさん、なにかに「囚われて」いませんか?
上司だから、部下だから○○するべき
親だから、子だから○○するべき
妻だから、夫だから、、、
こうあらねば!という固定観念をもっていませんか?
たしかに固定観念がもとになる行動は、大事なときもあります。
仕事をさぼっている部下がいれば上司だから注意するべき
たしかにそうです。
でも、それでもしあなたがモヤモヤすることがあるなら、
それは固定観念に「囚われて」いるのかもしれません。
視点を変えてみる
「上司だから注意するのは当たり前」と考えているなら、
なぜ当たり前なんでしょうか?
上司以外にもその人を注意することはできませんか?
その人の先輩や同期など親しくしているひとから指摘してもらう、なんていうのはどうでしょう。
注意をする目的はさぼっている部下に注意をして、そこから行動を修正してもらうことです。
ちゃんと仕事をしてもらうことが目的なわけです。
そうしたら、その目的を達成するためには必ずしも上司が注意しなければならない、ということでもないはずです。
絶対に自分が注意しなくては、、、と思わなくてもいいんです。
固定観念はもっと世の中にありふれています。
○○すべき、という言葉は役に立つときもあれば、それに囚われて身動きがとれずしんどい思いをすることもあります。
固定観念がダメ!ということでもありません。
それもひとつの「囚われ」です。
そのときどきによって使い分けられたらOKです。
いまはこの考え方、というふうにその場にあうことを選べたらOKです。
なにより大切なのはあなたが自分自身に正直でいるかどうか。
自分の気持ちにウソをついていないか。これが大切です。
無理をして本音と違うことをし続けるのは、自分にウソをつくことになってしまいます。
「囚われ」から脱却する!
あなたがあなたらしく過ごせるヒントにしてみてくださいね。