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身の上話④迷子

私の幼い頃は、休みだからといって家族と一緒に遊びに行った記憶はありません。

自営業、故に仕方ないことではありますが、

やはり友達が親と一緒に遊びに行く話を聞くと、

淋しい思いがあります。


そのお陰で、以前にも書き込みましたように、

「休みには子供と一緒にどこか出かけなければならない!」

と、言う強迫観念のようなものが今でもあります。

 


それと同時に「迷子」と言う思い出も!

 


私は小さい頃よく「迷子」になりました。

よく親から「お前はいつでも、どこでもすぐに迷子になる。」と言われていました。


私は、親と一緒に遊びに連れて行って貰えなかった代わりに、

「叔父家族」に一緒に連れて行かれました。


ともかく、遊びに連れて行って貰えなかったので、

たとえ「叔父家族」でも連れて行って貰えることが、

嬉しい事でもありました。

でも、本当は親でないので淋しいのですが!

 


叔父には3姉妹の娘がいて、

下二人と年齢が近かったので、よく下の娘二人と一緒に遊びに連れて行って貰いました。


当然、遊んでいる時や移動する時には、

叔父夫婦は娘たちの手を握り連れて行きます。


娘たちが第一優先です。

私の事は、当然後回しです。当たり前です。


そして、家の中では

「手の掛からない、いい子」を演じていましたから、

「お前はひとりで何でもできるよね!ほっといても大丈夫だよね!」

と言う扱いを受けていましたので、

後回しにされても仕方ないことです。

 


今でも覚えています。

小学校3・4年のころ叔父家族と遊びに行った帰りのとき、

阪急電車に乗り

(私は近鉄沿線に住んでいました。その頃のことですから、電車に乗る事も経験があまりない時でした。)

 

どこかの駅で乗り換えて梅田駅まで戻る時に、

電車の中で叔父から

「次の駅で降りて、乗り換えるからな。時間がないから急げよ。」

だけ言われて、駅に到着しました。


叔父夫婦は、娘たちの手を引き乗り換えの電車に急いで行きます。


私は、ただ降りる事が必死で、

降りたとたん「どこへ行けばいいか、どの電車に乗ればいいのか」全く分かりません。


降りた途端どうすればいいの分からず、

叔父の後ろ姿を必死で追い求めました。


でも人混みに呑まれてしまい、

姿を見失い、気が付けば駅には誰も居ませんでした。

そして電車も!

 


私は、駅のホームを必死に行ったり来たりしていました。

叔父の着ていた服を捜し求めて、

少しても似た雰囲気ならば走って行きました。


ホームには誰も居なくなりました。

その駅が何処なのか?分からず。

 


半ベソをかきながら、ホームに立っていました。

何故か駅員さんも居ませんでした。

 


丁度その時、知らないおじさんが私に声を掛けてくれました

「どうしたの?どこの子?名前は?親御さんは?家は?」と定番の質問です。


私自身もパニックていますし、

今ここが、何処なのかも分からないので、

何を伝えれば、いいのかと言う状態でした。


ともかく、その親切なおじさんにより、

梅田駅まで連れて来てもらえました。

今考えたら、知らないおじさんに連れられて行くという事は怖い事でした。

しかし藁をもすがる思いでした。


梅田駅の駅長室まで連れて行ってもらうと、

そこには叔父夫婦が心配した様子で居て、ようやく再会できました。


当然の如く、怒られました!(何故!)

 


時には、デパートへ行ったとき、

デパートの屋上にある遊園地(当時は賑やかな楽しい場所でした)遊んでいたら、

案の定私はまたもや「迷子」になりました。

係りの人に見つけて貰い、「迷子探し」が始まります。


屋上遊園地の真ん中で、

お立ち台に乗り場内放送されます。

何回も!


そのうち、その台の傍を、叔父夫婦が娘を連れて通り過ぎるのが見えました。


迷子の私に気づいてくれません。

場内放送があっても。

これも当たり前のことです。

自分の娘が一番ですから!


私は、あの時の淋く、不安で、辛い、悲しい、みじめな思いがあります。


私の娘には決して私と同じ思いをさせたくないので、

移動するときは娘の手をしっかり握りしめて移動します。

程々に、ひとりで行動させた方がいいのですが、

迷子の悲しい思いだけはさせたくないので!


少しでも迷子になりかけた時には、怒ってしまう時があります。
 

私ももうじきG・Wがスタートします。
 

 

又、手を握っているのでしょうね!

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